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島根県には十六(うつぷるい)島岩ノリにまつわる伝説が残されている。事代主命が出雲の父君(大国主命)を訪ねようとした時、十六島岬に立ち寄った。そこで海の岩上の長く伸びているノリを見た。これをはぎ取り、砂などを除去して食べた。大変おいしいかった。以後、人々は事代主命を見習って食べるようになった。
ノリは『出雲国風土記』には紫菜と記載されている。『延喜主計式』に「諸国輸調」「中男一人輸作物」として見えている。当時、ノリは身分が五位以上の者のみに供される食べ物で、ステータスシンボルとされていた。
名高い浅草ノリが登場したのは徳川時代のころである。それは隅田川下流の浅草付近で養殖販売された。『東都歳時記』は浅草ノリについて「慶長の頃より繁昌の地となりしかば、洲をならし岸を築き、枝川を埋め、浅草川ようやく狭くなりしよう海苔の産することなし。今品川に産するは貞亨・元禄の頃よりとぞ」としたためている。ノリを干す場所が品川、大森、深川などへ移されても、浅草ノリの称はそのまま使われた。
亨保年間、紙すき法を模倣したすきノリが開発された。ノリを刻んで乾燥させる方法である。当初は紅色を呈していた浅草ノリも、徳川時代の末期ごろには黒紫色に変わった。
こうなると、ノリは夏土用丑日における「水剋火」の呪具として有資格者となる。黒色は水気の象徴色だからである。ウナギのかば焼きやシジミ汁、柳川鍋でなくとも、呪術的にはノリ巻きおにぎりで代行できる。
ノリはかつて五位以上の人々に献上品や贈答品として使われた。ノリが身分差を越えて広く普及した現在、中元や歳暮に使われることも多い。昭和20年代、遠足で多用されたのはおにぎりである。しかし、それはみそをまぶして焼いたものが多く、ノリ巻きはすこぶる少なかった。バナナやチョコレート同様。ノリは貴重品だったのである。
江戸でノリの養殖が始まったとき、浅瀬に粗朶(木の枝や笹竹)を立て、柵囲い状のものを作った。しかしながら、その養殖法は姿を消し、現在は網を使用している。その乾燥もかつて天日から機械に変化した。
日本人は古くからノリをとても好み、神社の神饌としても不可欠なもののひとつとなっている。ノリは栄養上からも風味上からも重要な食品であるほか、乾燥させるため、保存食としても意味を持った。
ノリは甚だ適応力に恵まれている。ラーメンの具にも使われ、チーズ巻きにも用いられる。それでいて、さほど違和感を抱かせない。せんべいやおかきにノリをつける発想が出るのも、当然のことである。
わたし自身の好みからいうと、焼き立てのもちをノリでくるんだものには目がない。軍艦巻きのごとくありふれた食材でも、ノリでくるむと、視覚、香り、手触り、風味などにおいて単品よりもはるかに人々を魅了する存在となる。あらゆる食材に潜んでいるよい物を引き出してくれる深い魅力を有している。
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