ご愛読いただいた石川啄木の歌集外短歌評釈に続いて、宮沢賢治の短歌の評釈を連載することになった。現在わたしは、この原稿を、インドで書いている。2005年の1月から3月の間を、ニュー・デリーにあるジャワハルラル ネール大学(Jawaharlal Nehru UniversityJNU)の客員教授として過ごしているからである。今書いているのは、構内のゲスト・ハウスにおいてである。
ネール大学は、ニュー・デリーの南端、広大な緑の中に位置する大学院大学でインド第一の大学である。
わたしの所属している言語学部日本語科(正式名称は、School of Linguistics,Literature & Culture StudiesのCenter for Japanese and North East Asian Studiesである)は、例外的に学部生がいるのだが、全国からの受験生が約2千人。そのうちから、22人を入学させるなどというから気が遠くなるようなスケールである。
この広く、深い緑に囲まれて、ゆったりと流れる静かな時間の中こそ、賢治の作品を読むのにふさわしい場所ではないか、と思いを抱きながら、この原稿を書き始めている。
賢治の短歌には、現在残っているものとしては、何と言っても「歌稿A」(賢治の妹トシ、同じくシゲおよび賢治によって書かれたもの)「歌稿B」(大ざっぱに言ってしまえば、賢治が「歌稿A」を書き直したもの)の存在が大きい。
賢治の短歌が取り上げられる場合、ほとんどが、この二つの歌稿と絶筆の二首を出ないことが多いが、賢治の短歌という場合、それ以外の短歌作品、例えば「鹿踊りのはじまり」の中の作品や「文語詩」の中の数編なども、その対象とすべきだと思っている。
しかし、その具体については、やがて触れることにして、まずは、この二つの歌稿によるところから、始めることとしたい。さらに具体的には、「歌稿B」を原則にしながら、該当部分の作品が、「歌稿A」にありながら、「歌稿B」からは、欠落している場合には、適宜「歌稿A」を補うという(文庫版全集)『宮沢賢治全集3』(筑摩書房、1986)が採用した方法によりたいと思う。
つまり、原則として、賢治の最終形によりたいと思うのである。なお、新聞の制約もあり、参照文献等は十分に表示できないが、新校本宮澤賢治全集(筑摩書房)と原子朗『新宮澤賢治語彙辞典』(東京書籍)には、全面的な学恩を受けていることについては記しておこう。
もう一度、JNUの深い緑の中で、賢治短歌を読める幸いのことに触れて連載開始のあいさつにしたい。
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