紫波町土館にうわばみを退治する話が伝わっている。そのあらましは次の通りである。
昔、新山に登る途中に樹齢数百年の杉の大木に囲まれ、羽黒山神社がある。そこにうわばみがすんでいる。その長さは60メートルもある。うわばみは夜な夜な里へ下りてきてはニワトリや豚を丸のみにする。里人は困り果てて、どうしたらいいものか、毎日思案に暮れている。そのうち寄り合いの相談で、沢田の鬼子に頼んで退治してもらうことに決まる。
鬼子は里人の熱心さにほだされ、引き受ける。次の日、身支度を整えた鬼子は、500キロの大石を背負い、山の頂上にある神社を目指して登る。昼ごろ神社に着くと、うわばみは神社を七周りも巻いて昼寝している。
鬼子は大石を頭の上に差し上げ、うわばみの頭に落とす。その時、ニワトリの卵ぐらいもあるうわばみの目玉が飛んできて、鬼子の口の中へ入る。鬼子はこれを食べてしまう。うわばみはしばらく神社を揺さぶり、のたうち回るが息絶える。
鬼子はうわばみの頭を肩にかけ、ずるずると引きずりながら山を下りる。しかし、重いので数百メートル山を下ったところで、持ち帰ることを諦める。うわばみの死体を坂の途中に捨てて帰る。夕方、家に着いた鬼子は、縁側へ腰を下ろした途端、激しい腹痛を起こす。家の人の介抱のかいなく、みまかる。
この伝説に登場する羽黒山神社は、山形県の羽黒山に鎮座する出羽(羽黒山)神社の分霊を勧請したとみられる。祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)であったと推量される。勧請に関与したのは山伏・修験の可能性が強い。神社とは称しているものの、実態は小さな御堂であったらしい。ただし、ご利益のある神様として四方八方に知られていた。
倉稲魂神は当初、稲の神・食糧の神として尊崇されていたが、中世には衣食住の神や繁盛の神としても信仰された。その羽黒山神社境内の伝統的植生は保護され、いわゆる鎮守の森の景観は保たれていた。けれども、そこにすみついたうわばみが、里のニワトリやブタを丸のみにしては、腹ごしらえをするようになった。その長さが60メートルとあっては、人力では簡単に退治することができない。
アマゾン川流域にすみついているアナコンダなら、長大になればブタも丸のみするであろう。それとても、せいぜい10メートル程度ではあるまいか。これがアオダイショウなら4〜5メートル程度であろう。60メートルクラスのうわばみを登場させるところに、退治の正当性を窺知(きち)させる。
しかし、うわばみは清浄な自然の見立てだったという一面はなかったであろうか。境内の樹木を伐採したり、環境汚染の危機を招くことが「うわばみ退治」として表現されたのではあるまいか。
それにつけても、紫波町の西部にはうわばみ伝説が多い。もしかしたら今もなお、うわばみが生き残っているのではと思わせる雰囲気が感じられる。
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