■ 〈盛岡ことば入門〉238 黒澤勉 馬喰の娘に生まれて(中)
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一七〇、脱線余話−馬喰の娘に生まれて(中)
馬喰だけでは生活でぎないので、田畑をやってあんした。手間取りの仕事として、田の草取りや田植え、左官や大工の「てもと」(近くにいて手伝う仕事)もしあんした。「ひでまどりさ、ではる」と言って出がげだもんであんす。
嫁に来てからも、3日とか、1週間とか、「ひでまどり」をやってかせいで、そのお金は皆、姑(しゅうと)に生活費として渡しあんした。盆や正月は金がかかるので、「ひでまどり、くればいー」どもって(思って)あんした。
姑のおがぁさんも「魚食うのは、がまんすにいども『みえつぎやす』(冠婚交際のつきあいをする)のに、じぇんこかがる」って、そってあんした。何せ、本家、かまど、孫かまどと、交際費もずいぶんかがりあんした。
おれも、かせぎさ出で、「こびるだ」って、叫ばれれば、がんばってかねばなんねがったども、ほがで(他で)ごっつぉになるのあ、んまがんした(おいしかったです)。
おどーは乗馬ズボンをはぎ、バンドに「たばごる」(タバコ入れ。「キセル」、刻みタバコをいれるケースで「ぶんこ」と呼ばれるもの、「根付け」の三つを入れた)を下げてあんした。
根つけは、牡丹や唐獅子の絵を彫ったもので、まん中がくり抜いてあって、そこに吸いがらを入れあんした。長いキセルをパンパンとたたいて、火が消えないように残り火のついたきざみタバコをその穴に入れていました。
腹には毛糸やフランネルの胴まぎを巻いであんした。「かがー縫えや」といって、おふぐろさ、縫わせたものでがんす。胴まぎには、箱のようにたっぷりと入る「しぇふ」(財布)を入れ、札束をそれにいれであんした。
馬喰は馬が売れると大金が入るので、はじまんで(八幡町で)大酒飲んで遊んだものでがんす。
いつも鳥打ち帽をかぶっていて、「ばんぞする」時は、その帽子の中で、指で馬の金額を示しました。(「ばんぞ」は「伴蔵」と書き、牛馬の仲買人をいう)
親指は五、人差し指はなんぼって、指で示す金額を示して、帽子で隠した手を相手に握らせて「これでなんちょだ」(これでどうだ)といって交渉しあんした。
「んままぢ」(馬町)の「んまいぢ」(馬市町)さ馬をつれでぐとき、おらも、かがーと一緒にリヤカーで行ったことがありあんす。9月29日だったどもいやんす(思います)。
「じゅっこ」(重箱)にゴマ塩をふったにぎり飯だの、にしめぁ入っていで、それがお昼であんした。馬検場ではセリが行われあんしたが、いい場所取って、むしろ敷ぎ、そこで食事にしあんした。
「ぼろ」(馬の糞)は拾って、炭すごに入れて歩ぎあんした。それをためで腐らせ、人糞を混ぜて、「ずぎ」(肥料)にしあんした。「ずぎ」は、貴重なものでがんした。「ずぎ」を入れた「ふるげ」(木桶)から「すりじゃり」(後ろ歩き)して、素手でまぎあんした。
そのあど、ろぐに手も洗わねで、まんまくったものでがんす。それでも、まんま、うまがんした。「ずぎまぎ」したあど、「ふんかげ」(土を足でかけて歩く作業)しあんした。
生活に困っている農家では、一人では馬を買えないこともよぐありあんした。
ある時、沢内から4人の人が家に来て、話がまどまるまで、泊まっていぎあんした。4人で馬を買う共同購入であんした。
おらぁ、子供心にも、客がいやであんしたが、いやな顔をすると、おどーにたたがれるので、客が来たらいっつもいい顔をみせねばながんした。
かがぁも、ぜにっこぁなくても、いっつも笑顔の人であんした。こんたなごど、しゃべるのぁ、おしょすがんすども(恥ずかしいのですが)、おらぁ、今でも、笑顔ぁ、財産だどもっていあんす。
人の悪口さねごどど、笑顔で、ともだぢも、いっぺ、いだがら、がんばれだど思っとりあんす。そういうふうに教えられたごどをありがたいごどだったど、思ってあんす。
馬は「むでと、むでで(一対一で)」売り買いするときもありあんしたが、たいてい売る人、買う人だけでなく、その間にたつ馬喰も一人、二人いて、買うかどうか迷っている人に「ほれ、いんだじぇ(ほれ、いい馬だよ)」などといって、あおったりしあんした。売り買いが決まると手打ちをして、仲介していた馬喰も加わって、「ばんぞー銭」として、同じ額ずつ分けあんした。
どぶろくや清酒がふるまわれ、「火ぼど」(いろり)でスルメを焼いてつまみにしました。大根の漬物の凍りついたものを出すと「ぢゃぢゃぢゃ、こっちのかがあのつけものぁんめぇ」などとお世辞を言ってあんした。
客さまんま、かせねばねーどぎもあり、そんなときは、魚買ってきあんした。馬の代金を払えないときは、手打ち金を払って、後で払ってもらうごどもありあんした。
(つづく、岩手医大教養部教授)
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