2005年 4月 17日 (日)        

■ 〈美術〉斎藤義重「挿し絵の原画展」

     
  陳舜臣の「神に許しを」の挿し絵に採用された斉藤義重の絵  
  陳舜臣の「神に許しを」の挿し絵に採用された斉藤義重の絵  
  戦後日本の美術界を代表する作家、故斎藤義重(1904−2001年)が雑誌の挿し絵に描いた墨の絵の原画を集めた斎藤義重掌展が27日まで、盛岡市内丸の第一画廊で開かれている。板などを用いた圧倒的な存在感の立体作品とは異なり、かわいがりたくなるような小品の絵。しかし、前後の作品と通じる造形性が見られ、挿し絵ながら文学と独立した斎藤の作品となっている。

  斎藤は1969年春の「別冊文藝春秋」で挿し絵を依頼され、20点ほどの作品が掲載された。松本清張、陳舜臣、小松左京らの作品に斎藤の挿し絵が入っている。

  特定の作家のためではなく、目次やさまざまな作家の文学作品のページに織り込まれている。目次ページを除いて、紙に墨で描いたモノトーン作品。このうち15点が展示されている。

  オーナーの上田浩司さんは最初、1点を目にし、挿し絵の原画とは分からなかったが、シリーズで作品があると直感。すると、ある故人の収蔵美術品の中にシリーズの原画が含まれていた中の1点だったという。

  一般的に、出版物の依頼の作品は掲載後も原画は作家の元には戻らず、出版社の倉庫に眠っているという。しかし、斎藤のこの原画は某氏の手に渡ったことが幸いし、今日、まとまって日の目を見ることになった。斎藤は60歳すぎになって評価が高まり、作品が売れるようになった。原画は斎藤が広く名を知られるようになって数年後の制作となる。

  原画は、斎藤が60年代前半に用いたドリルで描く表現、後半に登場する「ハンガー」など合板にラッカー仕上げの作品を経て70年代に合成樹脂やアルミ板を用い、レリーフ上の中にひっかいて描く表現の間に位置する。まぎれもない平面絵画には前後の斎藤の仕事との共通性が見てとれる。

  例えば、65年や73年の「カラカラ」というナイロン糸を使った作品、67年ごろの合板の「ペンチ」などと付けられた一連の作品の核になる造形を挿し絵原画に見いだすことは難しくない。

  「それぞれの作家の文章に合わせて書いたのではなく、みんな斎藤さんの絵として独立している。自分の作品として描いた」と上田さん。「筆で描いた絵よりも、斎藤さんのドリルを使った作品が不思議と絵画的に見えた」と当時を思い起こす。

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