|
■「濁酒地獄」を童話に
遠野市や雫石町に対して「ふるさと再生特区」として「どぶろく特区」が認定されました。これは農家民宿や農園レストランなどを営む農業者に対して、自家産米をもって濁酒製造を承認する特例措置です。この特区では酒税法に定める最低製造数量(年間6キロリットル)に拘束されず、少量のどぶろく製造でも許されるというから、明治32年1月より禁止された「自家用酒税法」を改革する画期的な特例なのでしょう。
為政者にとって、国税のおよそ20%を占める酒税は、これほど確実な税源はないので財政需要に応じて増税されていきました。それは酒造税法の変遷を見れば明らかです。
一石当たりの酒税は明治11年、清酒1円、濁酒同30銭だったものが明治31年12月には清酒・濁酒ともに12円に増税され、同時に自家用酒税法は廃止され32年1月より施行されました。それ以来自家用酒造は密造となり5円以上50円以下の罰金刑に処せられることになったのです。
しかし自家製の濁酒に頼ってきた農村共同体の長い間のしきたりは、ただちに濁酒の自醸を自粛するわけにはいきませんでした。その結果として密造酒の摘発と、その裏をかくための工夫とのいたちゴッコが始まったのです。
特に秋田と岩手県は検挙件数が多く、大正5年の統計には秋田県3161件、岩手県1083件を数えました。しかもこのなかには女性がおよそ40%を占め、50歳から70歳の高齢者もまた約40%に及んでいるのです。
女や老人がこのように多いのは「予め罪を着る人を定めて置いて、共同して造っているという話や、女や小児までが戦闘のやうな態度を以て、発覚の防止に働くといふ噂をも伝はって居る」と柳田国男が前掲書のなかで指摘するところです。これがいわゆる「濁酒地獄」と称された実態だったのでしょう。
大正5年6月29日の「岩手毎日新聞」に「酒類密造の検挙」と題する巻頭言が載っています。これは秋田県河辺郡船岡村猫ノ沢に濁酒摘発に訪れた税務署員9人に、集落民が一体となって対抗し流血惨事となった事件を取り上げたものでした。
童話「税務署長の冒険」はこうした「濁酒地獄」の悲惨な実例をパロディー化し、濁酒摘発隊を揶揄(やゆ)しながら村中が一体となって裏をかき、隊長(税務署長)と名誉村長との虚実のやりとりをユーモラスに描いた民話調の童話です。
■花巻税務署長報告要項(明治45年2月20日)
稗貫、和賀両郡ハ従来密造劇甚地トシテ極力取締リヲ励行シテ来タルガ、犯則者モソノ犯則及証拠隠蔽ノ方法漸次巧妙ニ至リ殊ニ通信ノ機敏ハ実ニ驚クベキモノアリ、若シ一地方ニ於テ取締ニ従事スルトキハ忽チ隣村各部落ニ伝ハリコトゴトク証拠ヲ湮滅シ、殊ニ近来濁酒ノ検挙サレ易キニ顧ミ漸次清酒犯ニ移リ且地形山岳重畳ヲ利用シ人目ニ触レザル小野選ビ密造場ヲ特設シ来リタル傾向アリ、(中略)従ッテ目的地ニ遠ザカリタル地点ヲ選ビテ宿泊シ、夜暗ニ乗ジテ平均三四里乃至五六里ノ行程ヲ運ビ黎明ヲ待テ突然調査ニ着手スルコトトシ、二月七日ヨリ一週間当署員九人兼務署員二人外ニ局属五人、監督官、関税部長、検事二人、保安課長及各警察署長巡査部長参加シ中内、小山田、新堀、八幡、笹間、藤根、岩崎、立花、谷内、八重畑、好地ノ各村ニ亘リ主ナル嫌疑者三十六名ニ対シ一斉ニ取締リ執行スルノ計画ヲ立テ…週日ニ亘リ毎日未明ニ行動ヲ起シ、(中略)終日奮闘ノ結果左ノ犯則ヲ検挙シタリ。
一、酒造税法違反十一件、製造高清酒七一二八合、
濁酒一一八五合(以下省略)
『東北六県酒類密造矯正沿革史』より
|