今年、県外の男性から届いた年賀状の文面は、自身の高齢と体の不調を訴えた後、タヌキのコレクションの処理を案じる内容であった。彼のコレクションは約800匹に達する。これでも三役クラスで、横綱クラスになると、3千匹を超える。ちなみに、私のコレクションは100匹を超える程度だから、序の口か序二段クラスであろう。
タヌキ像の中で最も人口に膾炙(かいしゃ)しているのは、信楽の酒買いタヌキ像である。明治時代、初代狸庵の藤原銕造(てつぞう)さんは、清水焼の修業をしていた。彼は11歳の秋、京都で大小のタヌキたちの腹鼓を目撃した。腹鼓といっても、タヌキが手でたたくのではない、リーダーのオスダヌキがうしろ脚でジャンプを繰り返す。そのまわりを「クワンクワン」と声を発しつつ、ほかのタヌキたちが走る。
リーダーは時間にして10分間ほどとびはねると、皆とくるくる走りまわり、しばらくすると、また、うしろ脚でジャンプすることを繰り返す。この運動がいわゆるタヌキの腹鼓にほかならない。タヌキの腹鼓は約30分程度続けられる。その時間は夜10時から10時30分が多いので、人間がそれを目撃するのは容易でないのである。
藤原さんは目撃したタヌキの腹鼓をヒントに、苦心しつつ編み出したものが、酒買いタヌキ像の原型である。わたしはその像を藤原彌衛子さんからいただいたが、その像にはかさも徳利も通い帳もない。恐らく出入りする酒屋の小僧の姿に着想を得て、酒買いタヌキ像を案出したのであろう。酒買いタヌキ像はやがて信楽町陶器を代表する存在となり、昭和30年(1955年)ころにはメスのタヌキ像も登場するに至った。
信楽の酒買いタヌキ像は花こう岩質の陶土をのぼりがまで焼くが、釉薬(ゆうやく)を使って独自の色あいを出すタヌキ像も山形県新庄市東山町に出現した。それは昭和22年(1947年)窯元を訪れた信楽焼の陶工が伝授したもので、新庄東山焼(弥瓶焼)と称する。
蓮月尼の歌に「古狸酒もとむるや雨の夜のそのつれづれのすさびなるらむ」と見えているごとく、タヌキは酒を見つけると飲む。ある田舎の庭先で人々がドブロクをしこたま飲み合った。その飲み残しをタヌキが失敬した。しかし、飲み過ぎたタヌキは、その場に眠ってしまった。二日酔いのタヌキは太陽が高々とあがっても、芝生の上に長々と身を横たえている。その写真を見たときは笑ってしまった。タヌキは絵になる動物である。
ダルマ、カッパ、ネコ、カエル、ウシ、セミなどの像を収集している人は少なくない。けれども、最もコレクターが多いのはタヌキであろう。ユーモラスでとぼけた腹丸出しスタイルの酒買いタヌキ像でも、作る人によって時に微妙に、時に大きく違う。
タヌキ像は全国のどの町へ行っても入手可能である。上は、きりがないけれども、安価なものもある。わたしは3千円以内でよほど気に入ったタヌキ像しか購入しないので、番付の下位に低迷している。
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