2005年 5月 13日 (金) 

       

■ 啄木訪ねる旅行者と心の交流 渋民駅前の村山さん

     
  渋民駅そばで貸し自転車を提供している村山カツエさん。30年前に始めたクリーニング店の中には旅行者から贈られた絵のほか、自作の編み物が所狭しと飾ってある  
 
渋民駅そばで貸し自転車を提供している村山カツエさん。30年前に始めたクリーニング店の中には旅行者から贈られた絵のほか、自作の編み物が所狭しと飾ってある
 
玉山村の渋民駅そばに住む旅行者の母−村山カツエさん(60)は約40年間貸し自転車を旅行者に提供してきた。石川啄木の古里玉山を訪ね、同駅で下車する旅行者たち。啄木とその歌に魅せられ、都会の生活から逃れてくる。自殺志願の女性を思いとどまらせたこともあった。画家と絵や贈り物をやりとりするようにもなった。IGRが同駅でレンタサイクルを始め、交流は一つの区切りを迎えた。

 村山さんは同村城内出身。20歳で夫の巌さん(61)と結婚。主宰していた編み物教室が手狭になり、渋民駅そばの現在地に転居した。

  土日の駅は大勢の旅行者であふれた。宝徳寺など啄木ゆかりの地まで距離2・5〜3キロ。巌さんの提案で貸し自転車を始めた。

  手続きは農家の無人直売所と同じ。利用時間ごとの設定料金を専用ポーチに入れてもらう。ノートに住所、名前を記帳してもらう。40年間一貫している。

  「ピーク時には30台保有していた。自転車は100%戻ってくる。お金も確実に入っていたし多く払っていく人もいる。旅行者への嫌な思いは一度もしたことがない」と村山さん。夏には麦茶やトウモロコシを振る舞い、現在も交流の続く旅行者もいる。

  当時は貴重な収入源。編み物教室は時代とともに生徒が減った。今も手織りのセーターなどの衣類を展示販売している。1着1万円からと決して安くないが、手作りの良さを求め大船渡市から買い求めにくる人もいるという。

  さまざまな思いを胸に旅行者が村山さんのもとを訪れた。
  「親にこれ以上迷惑は掛けられない」。首都圏から来た育ちの良さそうな若い女性が自転車を借りにきた。悲しそうに記帳する仕草と涙ぐむ表情に、女性が自殺を図ろうとしていると察知した。

  午前中かけて話を聞いた。暴力団に追われ、啄木の生活歌に思いをはせ、命を絶とうとたどりついたという。「一生懸命生きていけばいいことあるから」と励まし、踏みとどまらせた。しばらくして差し出し人不明の小包が来た。中にあの女性の手紙が添えてあった。

  東京の著名な画家からたくさんの絵や書が贈られ、今も家に飾ってある。その書が村山さんの住宅を火災から救った。数年前、おしゃべり好きな村山さんは友人と話し込んでいたところ、仏間に掛けていた書が床にがたんと落ちた。その音で火事に気付き、ぼや騒ぎで収まった。

  村山さん自身、順風満帆ではなかった。10年前、ある出来事をきっかけに酒に依存し、体調を崩した。心筋こうそくとのど元にがんができた。見た目は元気そのものだが、完治には難手術が必要という。病とともに歩む人生が始まった。

  「もう悔いはない。いい人生を生きてきたと思うが、結構まだ大丈夫。これも多くの出会った人によって生かされているのかなと思う。駅で貸し自転車が始まりひと安心。もう、一人で休日に店で待機したり、近所や親せきにお願いしなくても済む。肩の荷が下りた。これからはもっと好きなことをやって暮らしていきたい」。

  IGRの貸し自転車は4台。「団体が来たら自転車が足りない。玄関にポーチをぶら下げて置くから、利用してもらおう」。旅行者の母は健在だ。





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