2005年 5月 15日 (日) 

       

■ 常磐津林中の直筆歌本108冊を盛岡市に寄贈

     
  盛岡市に寄贈された常磐津林中の直筆歌本の一部  
 
盛岡市に寄贈された常磐津林中の直筆歌本の一部
 
  歌舞伎や舞踊の伴奏・常磐津の名人、家元だった常磐津林中(1842〜1906)の直筆歌本108冊が4月、盛岡市先人記念館(吉丸蓉子館長)に寄贈された。林中の遠縁に当たる人間国宝の常磐津三味線奏者・常磐津英寿さん(東京)が直系遺族から託され所蔵していたもので、林中が隠棲中、格段に腕前を上げ先人として継承している同市で保存継承すべきと寄贈を英寿さんが申し出た。今年は林中の百回忌。14日、市内での追福百年記念演奏会の開演前、同市から英寿さんに感謝状が贈られた。

 林中は盛岡藩士を父に江戸で生まれ、幼少のころから隣家の師匠から常磐津を習った。才能開花し、家元の養子となって活躍したが、事情により、1886(明治19)年、第11代常磐津小文字太夫を返上。1890年、宮古路太夫半中と改名し、盛岡に来た。約4年の隠棲で自らの芸を磨くとともに八幡芸妓を指導。厳しいけいこにより、盛岡芸妓に常磐津が浸透。今日も受け継がれている。

  中央から請われ、1895年11月5日の東京・歌舞伎座での舞台で伴奏。再び中央で活躍し、常磐津界にとどまらず明治以降の邦楽界随一の名人と言われた。

  英寿さんから寄贈された歌本は1883〜1905年までのものと2代目林中による40年代の数冊。「紅葉傘絲綿色木」「乗合舩恵方萬歳」「津里(釣)女」など。各歌本には表紙に名前が書かれているが、小文字太夫や太夫半中、林中とそれぞれの名前が見られる。

  縦書きの歌本はベースは黒の墨書きだが、○や△など朱色で息継ぎなどの印を付けたり削ったりと、手を入れた跡がある。特定の演奏のため作られたものも多い。

  例えば「六歌仙見立風俗」は表紙に明治19(1886)年4月、狂言、市村座と書かれ、公演記録資料としても貴重。役者の名前も市川権十郎ら7人の名前が書かれている。個人宅の名前が裏に書いているものもある。

  歌本は関東大震災や東京大空襲などでも消失せす、今日まで残ってきた。英寿さんは散逸させないため、没後百年を機に盛岡市に託すのが最善と寄贈を申し出たという。先人記念館では、二次的な資料が多く、林中の直筆歌本はなかった。来年の新所蔵資料展では林中にスポットを当てた展示にしたいという。

  英寿さんは常磐津の盛岡文字会に指導している。14日、感謝状を受けた英寿さんは「没後100年となればめでたいこと。林中師匠は盛岡をこよなく愛していた。ここで演奏会を催すことが一番の供養になる」と話した。盛岡劇場での演奏会は盛岡文字会と東京の文字男女(もじおめ)会が主催し、英寿さんらが内容の濃い演奏を聴かせた。

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