「状況劇場」主宰の唐十郎が編集する季刊演劇誌『月下の一群』(B5判・222ページ)が、海潮社から創刊されたのは、昭和51年6月でした。
唐が「状況劇場」を結成したのは昭和37年、戦後における前衛演劇(アングラ)の始まりです。
この時代、安保闘争や大学紛争などを経た若者たちは、政治と芸術のからみで直接行動に出る場としての前衛演劇を選びました。唐も、新宿花園神社に赤いテントを張って、演劇の原点回帰を訴え出るのです。
昭和40年代に入ると、小劇場運動、いわゆる「アングラ芝居」が次々に誕生しました。
早大前の喫茶店に鈴木忠志が「劇団早稲田小劇場」、寺山修司と横尾忠則が演劇実験室「天井桟敷」、葛井欣士郎が「アンダーグランド蠍座」を構えます。
しかし、アングラ芝居なるものに疎い者にとって、この演劇誌『月下の一群』はまことに難解であります。創刊宣言にしても、
「粗野にして繊細なる友へ、七〇年代の魔都も半ばを過ぎて一挙に谷間を駆け降りんとしております。日々の背信にしのぎをけずっておられる諸兄のこと故、秘かな夜会でもあれば、幾度か交えて、作為、無作為にかかわらず、目くらむ如き懐の内をのぞかせていただきたいとかねてより思いつめてまいりました…」と続くのですが、平均的人間である小生にとって、読解は困難であります。
もともと芸能などは一生がけいこと考える小生と、けいこよりまずは直接行動に出るというアングラ精神とでは、一体感にかなりの距離があるのです。
しかし、既成の秩序やモラルを嫌うこの時代の若者たちにとって、反新劇のアングラ劇団は魅力的な存在であったようです。掲載の長編戯曲「下町ホフマン」も、そのような状況をくんで唐が書いたものです。
創刊特集は「人形・魔性の肌」がテーマです。
種村季弘・松山俊太郎・松田修・赤瀬川原平・日影丈吉・立川昭二・巌谷国士らが人形幻想ユートピア物語なるものを書くのです。
昭和43年、10・21国際反戦デーを前に、唐の状況劇場は新宿花園神社を追われることになりました。
「新宿見たけりゃ今見ておきゃれ、やがて新宿、原になる」と大見えを切った唐ですが、今では息子夫婦の離婚騒動に振り回されるオヤジです。
(毎週日曜日掲載) |