■ 〈オークランドの旅人〜賢治と滝沢村〉138 岡澤敏男
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■賢治の〔修学旅行復命書〕より抜粋
5月21日(札幌市、苫小牧)
「札幌麦酒会社に赴く。案内によりて糖化室より参観す…麦芽汁スティームによりて六十二度に保たれ二過程に糖化せらる。次に…後醗酵室前に至り本醗酵を終れる液の並列せる小横樽中に貯せらるゝを見る。次に瓶詰工場を視る。古き麦酒瓶数十の一河水の流るゝ如く機上を転じレッテル剥離せられ磨洗水洗充填賦栓より新なるレッテルを得麦稈の衣を装い二打の木函に容めらるゝまでの巧妙なる機転驚嘆せざるなし。然れども斯の如き今日の工業中にありては実に稚態茶飯事に過ぎず、大約人類の苟も思想する処何事か成ぜらん。工業と言い農業と言ふ…何物か思想に非らんや。唯複雑にして征服し難き農業諸因子の中に於てその進歩容易ならざるのみなり。」
「北海道石灰会社石灰岩抹を販るあり。これ酸性土壌改良唯一の物なり。…内地未だ之を製せず。早く北上山地の一角を砕き来りて我が荒涼たる洪積不良土に施与し草地に自らなるクローバーとチモシーの波を作り耕地に油々漸々たる禾穀を成ぜん。」
■明るい田園の模型
大正13年5月18日より23日まで、賢治は同僚の白藤慈秀と2年生を引率し北海道修学旅行に行きました。帰校後、学校用箋(ようせん)(24行)11枚に書いた賢治の〔復命書〕は、欧米の新技術を導入した農業地と旧態に甘んじる農業地を比較し考察した農業論文のような報告書です。
中島公園の植民館には、北海道に渡った「内地敗残の移住民」が、陰惨荒涼たる林野の開拓からほ場を整備し交通や学校を開いて楽しい田園を形成するまでの経過を示す模型が陳列されていました。
賢治はこの模型に感銘し「恐らくは本模型の生徒将来に及ぼす影響極めて大なるべし、望むらくは本県亦(また)物産館の中に理想的農民住居の模型数個を備へ将来の農民に楽しく明るき田園を形成せしむるの目標を与へられんことを」と述べています。
〔復命書〕のこの部分の思想は、まるで童話「ポランの広場」第3章の世界と一緒です。ポランの広場とは「将来の農民に楽しく明るき田園を形成せしむる」ファンタジックな模型だったかもしれません。
この童話は北海道で修学旅行中に発想し、帰校後に起草されたものでしょう。その2カ月後、第3章を戯曲化したファンタジー「ポランの広場」の「明るい田園の模型」を修学旅行に参加した生徒たちに演じさせたのです。
10月5日に書かれた詩編「産業組合青年会」もまた〔復命書〕と関連づけられます。賢治が生徒に注意をうながしたのは「植民館」に陳列する道産農産製造品であり、北海道石灰会社で販売する「石灰岩抹」でした。次の詩章は明らかにその反映でしょう。
「部落部落の小組合が/ハムをつくり羊毛を織り医薬を頒(わか)ち/村ごとのまたその大きな聯合(れんごう)が/山地の肩をひととこ砕いて/石灰岩末の幾千車を/酸えた野原にそゝいだり」
この詩編の下書稿(二)の28行目は「ハムをつくり酵母をつくり医薬を頒ち」とありましたが、のちに「酵母をつくり」を削って「羊毛を織り」と直しています。これはすこぶる興味を呼びます。
いうまでもなく酵母の特徴はアルコール発酵にありますから、はじめは産業組合の製造品目に葡萄(ぶどう)酒か清酒か濁酒かはべつとして醸造酒の発想もあったものとみられます。「藁(わら)酒」というのはそれをカムフラージュした巧妙なトリックだったかも知れません。
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