2005年 6月 5日 (日) 

       

■ 〈胡堂の父からの手紙〉10 八重島勲 「俳句はやめよ」

 11巻紙 明治32年11月2日付
 
  宛 盛岡市四ツ家町角猪川静雄方
  発 紫波郡長岡村 

前略 俳句之義ニ付毎日新聞ニ記載セラレタル上ハ一層如比事は相止メ候方可然夫共先生方ニテ被差止サル次第ニ候ハゝ敢テ差止ムルニハ無之候得共一意専心学科テモ勉強スル方他日大ナル効ヲ奏スル事ナルベシ俳句ノ如キハ敢テ学科ノ助ケニモ相成間敷候、若又小説ニテモ書キ他日学資ノ助ケスル見込ニ有之候ハゝ是又敢テ不差止次第然共是迚モ学科ノサマタケナラサル様可致候、此度草紙之如キ早稲田農園ヨリ大懸賞乃なぞゝゝ募集相成ニ付俳句丈若菜鶯各弐句宛半紙四ツ切ニ相認メ差送ルヘシ尤モ此應募者ハ講讀者若シクハ講讀者ノ楳(媒)介ナクンバ不相成ルニ付幸ヘ(ヒ)吉田勘四郎講讀の名誉世話入ナルヲ以テ同人楳(媒)介シテ差送ルノ見込ミニ有之候、可相成早稲田農園又ハ農事上ノ文字ヲ入レ讀ミタルモノヲ至急可差遣候、なぞゝゝハ手前ニテ左之如ク

  農家の正月トかけて共和政治國ト解ク 心ハ国主(穀種)ヲ選ム
  農家の正月トかけて浄土宗ノ開山ト解 ク心ハ法念(然)ヲ(豊年)祈ル

此内能キモノト思慮セシモノニ○点ヲ付シ共々相送候様可致候、
余は後便ト申残ス、早ゝ

  十一月二日      野村長四郎
   野村長一郎殿

袷ハ出来致居候ニ付此内相届候
 
  【解説】「前略 俳句のことについて毎日新聞に投稿し掲載されているがいっそこのようなことは止めるようにすること。それとも先生方の方で差し止めることが無ければあえて止めよとは言わないが、一意専心学科を勉強する方が大いに後のためになる。俳句の如きはあえて学科の助けになるものではない。もし小説でも書き、今後学資のためになる見込みがあればこれまたあえて差し止めるものではないが、もっともこれとても学科の妨げにならないようにすること。

  このたび同封のパンフレットのような早稲田農園から大懸賞のなぞなぞの募集があるが、俳句だけ若菜、鴬各二句を半紙四つ切りに書き送ること。もっともこの応募は購読者の媒介がなければならない。幸い近所の吉田勘四郎さんが購読をしているので世話して送ってもらえる。なるべく早稲田農園、農事上の文字を入れて作ったものを至急送るように。自分が作ったなぞなぞは

  農家の正月とかけて共和政治国と解く、心は国主(穀物)を選ぶ
  農家の正月とかけて浄土宗の開山と解 く、心は法然(豊年)を祈る

このうちのよいものに○点を付けて一緒に送るように。後は後便に申し残す。早々」という内容。

  明治32年、17歳、岩手尋常中学校3年。岩動露子、岩動炎天、猪川箕人、猪狩五山らと俳句グループ「みどり会」を結成。原抱琴のあっせんにより、『ほととぎす』系俳句会「若声会」と合併して「杜陵吟社」を結成。

  句集『みどり・五月雨のまき』『みどり・七月のまき』『みどり・八月の巻・その三』『みとり』(杜陵吟社機関誌?)もこの年であろうか。

  このころ俳名菫村。『みどり』に発表した作品の中に「水風呂や今日は葡萄の棚の下」「遠山の野火から夕ばえつづきけり」「霞は七里十里の外は冬の山」「黒雲を沖に積みたる残暑かな」「病ありて雨聞く床の我が残暑」などがあり、8月26日から9月6日までの12日間で300句作句。特に9月5日は95句も作っている。

  この年10月に正岡子規主宰の「ホトトギス」に投句、俳名菫舟。学友と共に俳句の渦に巻かれいよいよ俳句に熱中していくのであった。この俳句熱は帝国大学まで続き、師である正岡子規の葬儀の受け付けの手伝いもしたという。

  この書簡で父長四郎が、俳句を禁止している一方、金になるならば小説はやってもよいと言っているのが、将来大衆小説作家として大成する胡堂を暗示しているようで面白い。

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