2005年 6月 6日 (月) 

       

■ 〈古都の鐘〉鈴木理恵 ソーセージの国

 先日ベルリンへ行ってきた。この、パワーあふれる北の都、同じドイツ語圏でも、わたしのいるウィーンとはいろいろなことが違う。

  初めてベルリンフィルを聴いた時、4ユーロ、日本円で約500円の立ち見席でウィーンフィルになれた耳には、なんともシャープでコンパクトに、言い換えれば多少冷たくも響いたものだったが、まあ、それはそれでやはり素晴らしい。

  同じことが言葉にも通ずるのだが、こいつは何を言っているかといちいちけげんな顔をされる。これに東洋なまりの入ったウィーンからの田舎者は、3日もいると少々泣きたくなった。オーストリアのヨーがヤー(はい)、グリュースゴットがグーテンターク(こんにちは)、シャオママルがグックマル(見てみよう)、あちらでは万事、背筋を伸ばして、鼻を高くして、わたしに言わせれば少々気取って、物を言わねばならないのである。

  ウィーン子は旅から帰るとその辺の立ち食いスタンドに駆け込み、レバーケーゼと呼ばれる肉のはんぺんのようなものを食べるのだと聞いたことがあるが、彼の地からごみごみとしたウィーン東駅に着いた時、構内に漂うそのにおいに、駆け込みはしなかったがホッと肩を下ろした。

  言葉とメンタリティー、そこから生まれる文化には切っても切れない関係があるはずだ。昔まだソーセージの国に来る前、シューマンのいかにもドイツ語の響きらしいマーチを弾きながら、何かしらとらえきれないもどかしさを感じたものであったが、今はどうであろう。ヨーロッパの深淵は、立ち入れば立ち入るほど目の前に、むしろ立ちはだかる気がする。(ウィーン在住、ピアニスト)


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