■ 〈オークランドの旅人〜賢治と滝沢村〉139 岡澤敏男
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■柏林の中の小学校
賢治が〔復命書〕に記述する札幌麦酒会社の醸造プロセスは技術開発の無限の可能性に言及するもので、昨今開発された「発泡酒」や「第三のビール」などもその可能性の範囲内に属しているわけです。「藁(わら)酒」もそうした可能性の異端児だったのでしょう。
〔復命書〕のなかでもうひとつ注意されるのは、札幌地区の見学を終え苫小牧に向かう車窓から展望された北海道の新開地風物描写で、報告書11枚のうち約2枚35行にもおよぶスペースを割いており、その終わりの2行の記述には見過ごせないなにものかがあります。
「岩見沢を過ぎて夕陽白樺と柏との彼方に没す。この付近好摩滝沢辺に似たり」
賢治は「白樺(かば)」に好摩を重ね、また「柏(かしわ)」に滝沢を思い起こしたのでしょう。落葉松、ドイツ唐檜(とうひ)は開拓使庁時代の産物でしょうが、白樺、柏は古来から自生していた樹木でした。
アイヌ民族は柏の大木をシリコムカムイ・コムニフチ(山の神のカシワのお祖母さん)と神格化しあがめていました。ミズナラのドングリは長くて味も渋いが、柏のドングリは丸くて甘みがあり冬の糧食として喜ばれていました。
明治期の「内地敗残の移住民」によって伐採されるまでは、見渡す限り柏の純林風景が残っていたらしい。柳田国男の大正15年の随筆『草木と海』に「槲の林のこと」という一章があり、次のように述べています。
「ぜひとも言ってみたいのは槲(かしわ)の林のことである。皮革工業がこのように発達する以前、自分らが知ってから後までも、北海道の平野はいたる所この木をもって蔽(おお)われていた。開墾が進むとともにもとの木はすべて切られ、今はまた新たなる栽培を要するにいたった」
柏林に夕陽が沈んだのは室蘭本線のどの辺りだったのか。あるいは栗山駅を過ぎ馬追丘陵にさしかかるころだったかもしれません。丘陵の斜面を占めている白樺と柏の林を眺めながら、いつしか岩手山ろくの風光の中に賢治は遊んでいました。
そしてエキゾチックな風土の「柏の林の中にファリーズ小学校」が生まれ、髪の赤い小学生ファゼロが本のかわりに白樺の皮を机にひろげている光景を幻想しながら、童話の構想を手帳に走り書きしたのではないか。ファンタジー童話「ポランの広場」の魅惑的なファースト・シーンは、このとき車中でイメージされたものではあるまいか。
■童話「ポランの広場」(一)より抜粋
すると向ふから髪の赭(あか)い小さな子が急いでわたくしの方へやって来ます。その子は手や足ははだかで黒いチョッキだけを着て背嚢(はいのう)をしょってゐました。わたくしはもうすぐその子はファリーズ小学校の生徒だといふことがわかりました。なぜならその子の行く方にはたった一つ柏の林の中にファリーズ小学校があるだけで、そこの生徒なら木沓(きぐつ)にかれくさをつめてはいてゐたり本がなくてかはりに白樺の皮を机の上にひろげて置いたり、それはもう野原中のいろいろな子供が集まってゐるのでしたから。けれどもそのときはその子は全く忙がしさうにちょっと私を見上げただけ、どんどん向ふへ走って行きました。わたくしがもういちどふりむいて見たときは、もう野原の北の砂糖水のやうなぎらぎらするかげらふの中にはひってしまってしばらくゆれてゐましたが、まもなくそこがのはらのはづれだか木だか子供だか何が何んだか一向わからなくなってしまひました。
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