2005年 6月 12日 (日) 

       

■ 〈父からの手紙〉11 八重島勲 いとしい息子に示す父の心遣い

 12はがき 明治32年11月6日付

  宛 盛岡市四ツ家町角猪川先生方止宿
  発 紺屋町斎藤方 

前略 豫而持参致置候小風呂敷及書籍不用之分取纏メ明七日午后五時迄二停車場持参可致候余ハ面會ト申残ス早々
   十一月六日           野村長四郎

 
  【解説】「前略 兼ねて持参して置いた小風呂敷及び書籍の不用なものを取りまとめて明七日午後五時までに盛岡駅に持参するように。後は面会の際に話そう。早々」という内容。

  父長四郎が出張で盛岡に出て、紺屋町の斎藤旅館に泊まっているときに出したはがき。前に持ってきた小風呂敷や本など使わないものを盛岡駅まで持ってくるように、自分が持って帰るから、と簡潔な内容であるが、いとしい息子に対する親心が漂う。

  紺屋町の斎藤旅館(斎藤イト)は、茣蓙九(ござく)や三島医院、三島屋旅館の道路を挟んだ位置にある。その後鉄筋コンクリート建てとなり「さいとうホテル」と表示し、わたしの勤めていた市役所の窓から見えたものであったが、いつのころなくなったのであろうか。今は千葉耳鼻咽喉科医院の駐車場になっている。

  岩手尋常中学校に入学するべく一人で盛岡に出た際、初めて泊まったのは三島屋旅館。「随筆銭形平次」に「『宿はお前が勝手に探せ、明日昼頃、肴町の角へ荷物をつけた馬をやるから』こう父からいい渡されて、泣きたいような−でも非常な冒険に臨む勇士のような誇らしい−心持で盛岡へ出て来ました。これがその頃最も賢明な親の態度だったのです。もとより、下宿の見当も何もつかなかったので、以前父と一緒に泊ったことのある、紺屋町の三島屋の店へきて、のれんのかげからそっと、『お頼もうす』といっておりました。幸い女将が私の顔を記憶していたので、大した不自由もなく、階下の往来に面した室へ通されて、親類の児のようにいたわってもらった事を知っております」という一節がある。

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