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館長を退任し盛岡を離れる重石晃子さん |
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画家の重石晃子さんが、盛岡市紺屋町の深沢紅子野の花美術館館長を13日付で退任した。02年6月、志賀かう子初代館長の後任として就任。画家らしい視点を吹き込んだ運営とともに、定着した美術館ゆえの経営的な課題と向き合った4年間だった。それでも「毎日毎日、紅子先生の絵を見て飽きることはなかった。やっぱり先生は天才だった」と実感し、得るものは大きかったという。
「先生の絵は弟子なのでしょっちゅう眺めていたけど」、常にそばにあった2期4年間を通じて「先生の偉大さを実感した」。画壇にはそのときどきの流行があり、そのときに新しくても今では古くさくなったものは少なくない。
紅子の絵は「古さを感じさせない。古い時代のものでも、新しいものを持ち、はっと思わせるものがある。超然としていたのではないか。自分の美意識に自信を持っていたのだと思う。毎日、先生の絵を見ていて感心させられた」という。食傷気味になるどころか、尊敬の念を強めた。
就任の話を受諾するとき「短期決戦型の人間だから、2年ぐらい務めればいいかと気楽に考えていた」。小さな美術館だから仕事もそれほどなく、スケッチの時間もたくさんあると思っていたという。しかし、小さいということの大変さが身にしみた。経費の負担感は大きな美術館以上のものだという。
さらに96年の開館から5年が経過して市民に一通り知れ渡ったことで逆に市民の来館者が激減した時期に直面した。正会員の退会も続いた。「一気に熱が冷める時期だった」と話す。その穴埋めが館長の肩に掛かった。ポケットマネー的な金額の賛助会員制度の創設、絵画教室の開講、生誕100周年イベントとしての全国公募「花を描く展」の創設、一水会の展示会開催など、知恵を絞って新事業を展開した。
「やんなきゃならないという気持ちで突っ走った」という。「迷惑をかけたが、皆さんが協力してくれた」と感謝している。「経営は創造力がないとできないと分かった。苦心惨憺(さんたん)したけれど、いろいろ勉強し、いい体験をした。力は出し切り、悔いなくできた」と、すがすがしい気持ちで終えられた。
「盛岡の人たちの一つの自慢になる美術館。自分たちが大事にしている美術館ということで、市民がしょっちゅう友達やお客さんを連れてきてくれる美術館であってほしい。ますます盛岡に愛される美術館になってほしい」と願う。「盛岡には芸術文化に関心を持っている人たちがたくさんいる。それをもっと盛岡の発展につなげていく方法があるのではないか」と、物足りなさも感じた。
28日には盛岡を離れ川崎市に戻る。月に1度は絵画教室のため盛岡に来るという。
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