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小野清一郎の極東国際軍事裁判時のパスポートや身分証明書 |
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盛岡市本宮の先人記念館(吉丸蓉子館長)は7月17日まで、終戦60周年を記念したミニ企画展「為萬世開太平(ばんせいのためにたいへいをひらく)〜太平洋戦争と先人たち」を同館で開いている。新渡戸稲造から浅野七之助まで時代の中で生きた先人たちを通じ、戦争と平和を見つめ直す機会を提示している。
同館で顕彰している先人は130人。その半数ほどが60年前の戦争を体験している。政治の中枢にあって苦悩した者、体制の中で生きる道を模索した者、体制の中で失われていく自らの尊厳を叫んだ者など、先人の生きざまを通じて、あの戦争とその後の平和が発する今日へのメッセージを伝えようとする。
新渡戸稲造は国際連盟事務局次長を務めた国際人。辞職後であったが、満州事変以来、米国との関係が悪化する中、渡米して講演を積み重ね日米の和解に努力した。しかし、日本は国際連盟を脱退。日本の孤立を懸念し、心を痛める中での1933年、滞在先のカナダ・ビクトリア市で死去した。
そして戦後、敗戦国となり食糧難に陥っていた日本にララ物資と呼ばれる救済物資が届けられた。運動の中心となったのは在米の浅野七之助だった。ジャーナリストだった浅野のペンは在米日系人の地位向上、祖国の復興に大きな力となり、日米国民の間に懸け橋を取り戻す存在の一人となった。
この二人の間、戊辰戦争で賊軍とされた岩手県からは多くの軍人が誕生。政治の中枢に入っていく先人もいた。その一人米内光政は40年1月、総理大臣に就任した。米内は日独伊三国同盟に反対していたため、推進派の陸軍の画策で退陣させられた。その後、日本は太平洋戦争へと向かっていった。
このほか、財界人の郷古潔、工芸の八代目小泉仁左衛門、画家五味清吉らが取り上げられている。
展示では企画展名に使われた「為萬世開太平」の米内の掛け軸(45年以降)、昭和天皇が読み上げた「終戦詔書」の原稿を米内が同年8月14日に書き写した実物、極東国際軍事裁判で弁護人の一人となった小野清一郎の入廷のためのパスポートなどが見られる。
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