■文語詩「秘境」
短編「谷」の執筆は大正12年から13年ころとみなされるが、昭和6、7年ころ清書された文語詩にも本編と共通した題材をもつ作品があります。「谷」の馬番「理助」を「漢子」(おのこ)と表記した4行4連よりなる詩編「秘境」(「文語詩未定稿」所収)です。
この詩編では「谷」における「楢(なら)」の木が「樺(やまざくら)」に入れ替わってはいるものの、この作品に秘められた「心像」を賢治は晩年までもち続けていたらしい。
その「心像」とは「楢渡のとこの崖」という水蝕(すいしょく)谷に接した実感で、詩編では単に「谷の上」といっていますが、この崖のそばにハギボダシ(はうきだけ)の群生する秘所が付随するのです。
馬返し付近から柏(かしわ)林をわけ入り水蝕谷の崖ぶちに達し、火山の地質的構造をもつ深谷をのぞいた「くるくるする」感動を「谷」の少年に語らせています。その少年こそ「石コ賢さん」の分身だったのです。
「石コ賢さん」は蛭石(ひるいし)、のろぎ(滑石)、瑪瑙(めのう)など鉱石採集に熱中する中学生へ、さらに盛岡高農では地質学徒へと転回していきました。それは岩石(地質)への並みでない「おたく」(コレクターシップ)的好奇心というべきものだったのでしょう。
賢治を「楢渡のとこの崖」に誘導したのも、この「おたく」的冒険心にほかなりません。「谷」や「秘境」というタイトル自体、神秘的「水蝕谷」を指示するもので、その副産物だった「ハギボダシ」は、オークランドの山菜採りの夢として描かれた「村童スケッチ」かと思われます。
だが、賢治の深層にはもっと深刻に封印されている「心像」があったらしく、その一端が「秘境」の先駆稿に顔をのぞかせているのです。それは下書稿(一)にある次の詩章で、定稿には削除されています。
かしこにぞまがつみはあれ
塩鮭の頭を食みて
わが妻のもだえ死せしに
われ三月囚えられにき
これは「谷」には挿入されていない理助(漢子)の隠れた凶事を語っているものです。理助の妻は「塩鮭の頭」を食べて「もだえ」死んだが、死因を疑われて理助は3カ月も勾留(こうりゅう)されたものらしい。封印されていた「心像」とはこの凶事のことで、それが「かしこにぞまがつみはあれ」という詩章なのでしょう。
■詩篇「秘境」(文語詩未定稿)
漢子(おのこ)称して秘処といふ
その崖上にたどりしに
樺柏に囲まれて
はうきだけこそうち群れぬ
漢子首巾をきと結び
黄ばめるものは熟したり
なはそを集へわれはたゞ
白きを得んと気おひ言ふ
漢子が黒き双つ脚
大コムパスのさまなして
草地の黄金をみだるれば
峯の火口に風なりぬ
漢子は蕈を山と負ひ
首巾をやゝにめぐらしつ
東に青き野をのぞみ
にと笑みにつゝ先立ちぬ
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