2005年 7月 19日 (火) 

       

■ F3からステップアップ目指す 盛岡市出身プロドライバー前田さん

     
   
  7月10日、宮城県のSUGOサーキットであった移籍後第1戦。マシントラブルでリタイアした  
 

「Formula One(フォーミュラ・ワン=F1)」は、FIA(国際自動車連盟)が公認する自動車レースの最高峰だ。だが、F1の下にF3、F4、FJ1600などのカテゴリーがあり、F1へのステップアップを懸けたレースが日々展開されていることは、あまり知られていない。盛岡市出身で同市在住の前田剛秀さん(26)=RGエノモト(東京都)所属=は、03年から主にFJ1600を主戦場にしてきたプロドライバー。今春、2年間所属したチームを移籍し、F3に主戦場を移した。F3は、世界各地の若いドライバーがしのぎを削る激戦カテゴリー。F3を勝ち上がり、F1へのステップアップを目指す「飛躍の年」と位置付けている。

 前田さんがレースの世界の登竜門「レーシングカート」を始めたのは00年。松尾村に八幡平サーキットがオープンしたのがきっかけだった。18歳で普通自動車の免許証を取得してから事故などで乗りつぶした車はおよそ10台。すっかりスピードの魅力に取りつかれていた前田さんは、同サーキットの会員番号1番を取得するとサーキットに通い詰めて腕を磨いた。

  公道からサーキットに移った最初のレースでは3位に入賞。00年冬には八幡平サーキットの代表として、ツインリンクもてぎ(栃木県)プレイングカートフェスティバル(PCF)に出場。県内では負け知らずだったが、200人を超える参加者に圧倒された。「わけが分からないまま終わってしまった。順位では60、70位くらいだった」と振り返る。


  それから1年間、東北を中心に関東までのサーキットで腕を磨いた。「道場破りというか武者修行というか、サーキットのコースレコードを塗り替えようと1年かけて各県のサーキットを回った。いい経験になった」と話す。その年のもてぎPCFでは準優勝。そのほかのレースを合わせると優勝3回、準優勝2回と実力を発揮しはじめた。

  その年のもてぎPCFのレース中、フォーミュラチームのオーディションを受験したことでプロとしての道が開けた。03年には県内企業をスポンサーに付け、FJ東北シリーズで入賞。04年にはF4に参戦、FJ日本一決定戦では15位に食い込んだ。

  「ほかのドライバーが怖くて突っ込めないコーナーにも僕なら突っ込んでいける。怖いものを知らないというか、熱くなると前しか見えなくなるのが強みかな」と前田さん。

  だが、速さを求めカテゴリーを上げるたびに資金面の問題に直面する。遠征費、整備費などFJなら安くても年間数千万円、F3なら億単位の金が必要になるからだ。

  前田さんはスポンサー探しに奔走する毎日を送る。「スポンサーを集めるのもサーキットを走るものの宿命。F3で勝てばF1が見えてくる。今秋にはF3を中心にレースに出てF1の世界に行きたい」と話す。

  個人スポンサーは1口2千円から。問い合わせは前田さん(019−645−2135)


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