2005年 8月 3日 (水) 

       

■ 〈ウィーンからの便り〜古都の鐘〉4 鈴木理恵 人と交わること

     
  あるサロンコンサートの風景。ウィーンでは、家にお客を呼んで、気楽に音楽を楽しむ機会がよくある  
 
あるサロンコンサートの風景。ウィーンでは、家にお客を呼んで、気楽に音楽を楽しむ機会がよくある
 
  他人と弾く機会を、わたしはとても大事にしている。

  それは必ずしも楽しいことばかりではない。皆の予定を調整してやっと合わせにこぎつけたかと思いきや、その合わせでは耳の痛いことを言われしょげ返ることもあったり、またはそこまで踏み込めず当たり障りのない段階で終わり、もどかしい思いをすることもある。性格もバックグラウンドも違う者たちが集まってひとつのことをするのだから、お互いの歩調を合わせるのは、なかなか容易なことではない。それでもなぜ努めて伴奏や室内楽をやるかというと、それは、わたしにとって筋力トレーニングのようなものだからである。

  自分ひとりだけというのは、思い込みが死角をつくり、なかなか新しい視点が持てないものだ。井の中の蛙(かわず)である。特にピアノは楽器の王様と言われるように、人の手を借りなくともメロディーも伴奏も対旋律も同時にできるから、気をつけていないと良くも悪くも自分の世界に入ったままになってしまう。自分と異なるものに触れることで、自分の音楽、ひいては物の見方や考え方も研ぎ澄まされ、確固たるものになっていく。

  いかに相手を理解するか、あるいは説得できるかということで、自分を客観視することが求められ、また、ものの言い方をも考えないといけない。まさしく人生の縮図のようなものである。

  音も人間も単独では生きてこない。他とつながることで点が線になり空間になる。相手を生かしつつ自分をも生かす。そのなかで良いバランスが生まれ、それが音となり、共感となり、交流となったときの高揚は筆舌に尽くしがたい。それは聴衆としてその場に居合わせていても無上の喜びを感じるものだ。
  楽器を手に取り、または声を出し、あるいは耳を傾け、人々は音楽を求めて集う。どれだけ文明が進もうとも、その古代からの喜びをいまなお捨ててはいない。世の中のさまざまな暗い事件を耳にするたびに心は重くなるが、音楽が、ひいては美というものが人間にもたらす力を、信じていきたいと思う。
  (ウィーン在住、ピアニスト)


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします