2005年 8月 7日 (日) 

       

■ 〈野村胡堂の父からの手紙〉19 八重嶋勲 学校を欠席しても

 ■24 はがき 明治33年6月13日付
 
  宛 盛岡市馬場小路照井勝知方止宿
  発 彦部村 
前畧耒ル十四日日下善作殿家内三人斗病院へ出頭之筈ニ候、日詰発車十時十分ニ乘込十一時三十分盛岡ニ着致ベクニ付同日ハ万不止得トキハ学校欠席シテモ停車場待受諸事家(案)内シテ世話可致候、次ニ金員ハ耒ル十五日ニ五円丈送金ノ手続致居候
  六月十三日
 
  【解説】「前略来る十四日に日下善作殿の家族三人ばかり病院に出向くはずである。日詰停車場発十時十分、盛岡停車場十一時三十分に着くので、当日は万やむを得ないときは学校を欠席しても、盛岡停車場に待ち受けていろいろと案内するなどお世話するように。次にお金は来る十五日に五円だけ送金するよう手続きをしている」という内容。

  日下善作殿は、近所の人。誰か病気になって病院(岩手病院か)に呼び出されたのであろう。当時なかなか盛岡に出ることがなかったのでその家族は不案内であったのであろう。父は村の顔役。長一に親切に案内するよう指示している。

  明治23年に鉄道が上野、青森間全通。この時点で10年経っている。このはがきの記述に誤りがないとすれば、日詰停車場、盛岡停車場間の乗車時間が1時間20分。現在は日詰駅、盛岡駅間は22分。この場合105年前との比較であるから隔世の感は当然である。
 
  ■25 はがき 明治33年6月17日付
 
  宛 盛岡市馬場小路照井勝知方止宿
  発 紫波郡彦部村 
前畧
此間病院用ニテ定メテ学校方二三日欠席セシナラン実ニ貴重ノ日時頷キ事トハ被存候得共不得止次第ニ候、以上欠席セサル様可致、乍併隔日位ニ退校後見舞シテ景況報導スベシ、兎ニ角勉強不怠様可致候
  六月十七日
 
  【解説】「前略 この間病院のことで学校の方二三日欠席したことと思う。実に貴重な日時だっただろうが、やむを得なかった。これ以上は欠席しないようにせよ。しかしながら隔日位に学校が終わった後に見舞いしてその状況を知らせよ。兎に角勉強を怠らないようすること」という内容。

  さる14日、近所の日下善作殿の家族が病院に行く際に、長一に13日付のはがきで盛岡停車場に出迎え、いろいろお世話や案内をするよう指示したのであった。その後いろいろ対応したであろう長一をねぎらい、さらに1日おきにお見舞いしてその状況を知らせよと指示。締めの言葉に「兎ニ角勉強不怠様可致候」と相変わらずの激励を送っている。


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