■ 〈オークランドの旅人〉151 岡澤敏男 藍のなめくじの角
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■藍のなめくじの角
ナメクジ(なめくじ)を清少納言(せいしょうなごん)は「枕草子」で「いみじうきたなきもの」と嫌悪している。このナメクジはたぶん彼女の家の湿って不潔な台所などに住んでいたのでしょう。ところが賢治はこのナメクジに言い知れぬ霊力を交感しているのです。
「文語詩稿 五十篇」のなかの「悍馬(かんば)」(一)という作品には、ナメクジによる育成馬へのイニシエーションがみられます。
悍馬(一)
毛布の赤に頭(ず)を縛び、
陀羅尼(だらに)をま
がふことばもて、
罵りかはし牧人ら、
貴きアラブの種馬の、
息あつくしていばゆるを、
まもりかこみてもろと
もに、
雪の火山の裾野原、
緒き柏を過ぎくれば、
山はいくたび雲〓(うんお
う)の、
藍のなめくじ角のべて
おとしけおとしいよいよに
馬を血馬となしにけり。
この詩編はなかなか深いナゾを秘めた象徴的な作品で、前段には「貴きアラブの種馬」というナゾ、後段では「藍のなめくじ」が育成馬を「血馬」にするというナゾがみられるのです。まず「貴きアラブの種馬」というナゾはどんなことなのでしょう。
ここにある「アラブ」とは外国産の馬のことです。明治期には内国産馬の改良のため外国産馬の輸入が図られました。「アラブ」種の牡(種)馬は『日本馬政史』によれば明治30年から大正10年までに31頭が輸入されています。
しかしサラブレッド種牡は84頭、ハクニー種牡は222頭となっているのでアラブ種牡の頭数はずいぶん少ないのです。
それは生産地において「アラブ」種の「資源乏しきを以て」少数しか購入できなかったと言います。ところが「アラブ」種は、体格はサラブレッドより見劣りするが均整ある乗馬素質を備えており、飼いやすく、交配する牝馬の体型がどんなものでも産駒の成績がよくて内国産馬の体躯(たいく)を調整するには最も理想的な種馬とみなされていました。
賢治はこのような「アラブ」の種馬の優れた素質を知っていたこと、そして純血種の輸入の困難な事情にも通じていたのでしょう。それだから「アラブの貴き種馬」といったわけです。「アラブの貴き種馬」は明治29年に滝沢村に設けられた「岩手種馬所」にも繋養されていたわけです。
■「悍馬」(一)の下書稿(「新校本」による)
下書稿(三)牧 人
火山の雪を雲●の
青きなめくじいくたびか
角うちのべておりくれば
毛布の赤に頭(ず)を縛び
陀羅尼をまがふことばもて
ののしり交はし赭枯れの
かしはのはらよぎり行くなれ
下書稿(五)牧 人
火山の雪を雲かげの
青きなめくじいくたびか
角うちのべてすべりくる
柏ばやしの枯れはらを
毛布の赤に頭を縛び
陀羅尼をまがふことばもて
罵りかひつ牧人ら
貴きアラブの種馬の
息熱くしていばゆるを
まもりかこみて過ぎ行きにけり
●=さんずいに翁
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