パリの庶民の街だったベルビールは、過去にあった地名を変更して、ベルビール(麗しき街)とイメージ・チェンジしたもの。
パリにはそうした地名の変化が時々起きる。現在ボンピドウ・センターのある場所は、パリっ子は「ポーブル」(美しい町)とよんでいるが、実は中央市場のあったころ、ここは貧民街だった。
またグルネルは今でこそ15区の住宅地になっているが、元は殺風景な野菜畑だった。ある不動産屋が「ボー・グルネル」と改めた。「美しきグルネル」と改称したとたん、土地がイメージアップされ、よく売れた。西南の市外の丘は「ベルビュ」(麗しき景観)といい、かつてセーヌ川の川岸からケーブルカーが行き来していた。この丘に上ると、セーヌ川とパリ市内とがよく見えた。しかしケーブルカーが老朽化して撤去されてしまった。
シャンソンが有名にしたベルビール
ベルビールはシャンソンによく歌われている。この付近で幾人かの有名シャンソン歌手が生まれたことと無関係ではない。
その代表的なのが女性歌手ではエデイト・ピアフ。出産間近の母親が入院のため救急車を待つ間、突然産気づいて路上でピアフを生んだという伝説がある。それもベルビール街67番地前で。本当は産院で産まれたのだ。後年隣のパリ20区にエデイト・ピアフ広場ができた。近くの郵便局では地名の消印を「エデイト・ピアフ」に変えてしまった。
ピアフの祖父はサーカスの曲芸師、父や兄弟もサーカスで働いた。母親はシャンソン歌手だった。
モーリス・シュヴアリエもその近くで生まれた。父親は塗装職人だった。このかいわいには職人が多かった。
若いころは大変苦労し、有名になると、シュヴアリエはパリを象徴するような存在となる。
パリの南北の二中華街
かつてはベルビール街にはケーブルカーが通っていた。それがバスになり、現在はメトロの11号線が地下を通る。
かつては犯罪者の街だったが、戦後はアラブ人の街になった。そのあとベトナム人がおしかけて来たので、アラブ人はほかへ移ってしまった。今はパリの北の中華街となり、中国人とベトナム人とが共存しているエキゾチックな街となり、中華料理店が多い。
なおパリの南部のトルビアック地区にも中華街があって、中華料理店が集まっている。アラブ人の多くはアルジェリア人で、中国人やベトナム人の方が働き者だ。
カンボジア人の女性にはお針子が多く、パリ・ファッションをかげて支えている。同じアラブ人でもモロッコ人は働き者だし、チュニジア人はフランス人に同化しやすく、パリの安売りデパートでタティ一族は成功している。
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