いろいろな会議がありますが、回を重ねても、ほとんど意見を言わない人がいます。来いと言われたから、忙しい中を来てやってるのに文句を言うなとおっしゃるかもしれません。
けれど、会議に参加する以上は、講演会じゃないのですから、聞くばかりでなく何か意見を言ってほしいものです。毎回立派な意見を言わなければならないと言うつもりはありません。でも、1時間なり2時間なり、自分の時間を会議のために使うのであれば、(資料があれば)資料の下読みくらいはして、言うべきことを考えてきてほしいのです。
そのためには、資料が前もって配られていることが必要で、資料がその場で出される会議はそれだけでもう、形式的ということ。
数日前に資料が配られ、当日の説明は簡潔明瞭で、意見交換に多くの時間を割き、参加者すべてが、本気の議論をしあう。そういう会議なら無駄とは思いません。結論が出たとか出ないとかということより、問題意識を共有できたかどうかが、会議の成果だと思うからです。
「言っても無駄」とあきらめて、何も言わない限り無駄な会議はこれからも続きます。
「こんな無駄な会議は必要ない」と住民から指摘されないように会議を非公開にするというのも本末転倒。公開に耐えられる、緊張した会議にする責任があります。誰にあるかって?、税金から給料をいただいている公務員全員にあるのです。民間なら無駄な会議をしようが、会議の成果がなくて売り上げが落ちようが困るのは自分たち。
役所が無駄な会議をやっても誰も困らない?いいえ、その分有効に使ってもらえたかもしれない時間とマンパワーを無駄にしたという意味で、被害者は納税者なのです。
役所の会議はできるだけ公開に、というのは住民自治の趣旨から当然の流れです。それに耐えられる会議の構築は、方法も意識も含めて全てのお役所の宿題なのです。(滝沢村前助役)
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