一七八(その四)
E寂しい−さびす・さびすね・こさびすね
(久しぶりで出会った二人が話し合っています)
「ひとりぐらしで、さびしがべ」
「んー、だってもえーでになってける(相手になってくれる)しともねくて、はりえっこねくて、こさびすくてら。おめさんもあそびにきてくなんしぇ」
「んだなす。こんど、おぢゃっこでものみに、あがりあんすはんて(上がりますから)」
「いっつも、ゆっこ(お湯)わがしてまってあんすよ」…
「さびすーは、はりあいのねーごどなんだ」というのは高橋タミ子さん。なるほど名文句で、寂しい=張り合いがなく、うつろな心、といってもいいのではないでしょうか。そして、人は年をとるにつれ、何かと、「さびすー」気持ちを味わうことが多くなるようです。
「さびす」は「さびすね」とか「こさびすね」と言うこともあります。「こさびすね」は、例えば夕暮れ時の墓場のように、寂しくてこわいようなときによく使います。
「こ」は形容詞の上について「こったりね(少し足りない)」「こっぱずがす(ひどく恥ずかしい)」「こにくたらす(憎たらしくてしゃくにさわる)」「こっくれ(うす暗い)」のように、いろいろな味わいを添えています。
Fうらやましい−けなりだ・じゃみる・このますー
ア、(いい服を着ている人を見て若い娘が言いました)「あのひとぁ、けなりだなー(うらやましいなぁ)」
(それを聞いた人が言いました)「あのめらすぁ、じゃみで、あんたなごど(あんなこと)そってら(言っている)」
イ、(いつもきれいな着物を着ている人を見て言いました)「ひたぐ、いーなー。いっつもいーきものきて、このますーなー(うらやましい)」
「ひたぐ、いー」は、着ているものが良いという意味です。「ひたぐ」はおそらく「したく」(支度、身支度の意)の訛(なま)りではないかと思われます。在の方では「あせ」(汗)を「あへ」のように言いますので、それと同様に、「したく」が「ひたぐ」になったと考えられます。
町方の人の中には、「せんたぐ、いー」と言う人がいます。大沢俊子さんによるとこれは「選択がいい」というところからいい物を着ている、という意味になったのではないかとのこと、なるほどその通りかもしれません。いずれにせよ、いい物を着ている、とか、いい物を着ることができない、などという言葉は現代でも、日常よく話題になることです。
ましていい物を着ることができない貧しい時代は、ちゃんとした物を着ることができず、悩み、引け目を感じる人が多かったのでしょう。
盛岡弁では面白いことに「うらやましい」にあたる言葉が三つあります。
「けなりだ」というのは、自分の「うらやましい」という気持ちを表す言葉です。これは古語の「けなりい」(異なり)が方言として残ったもので、普通と異なっている、きわだっているということから、そのように特別なものになりたい、うらやましいという意味に変化していったようで、「けなりや」という感動表現の形でよく使ったようです。
例えば「ただ食過ぎて身が熱する(食い過ぎて熱が出た)といへるにぞけなりや、そのやうな煩(病気)ならば、われもちと持病にもちたいよ」(『醒睡笑』)などという例もあります。「けなりがる」というと、うらやましく思う、という動詞になります。
外からみて、あの人はうらやましがっている、というときに使うのが「じゃみる」です。「じゃみる」は、古語では、ことが途中でダメになるということですが、盛岡弁としてはどういうわけか、うらやむという意味で使います。
「このますー」は、文字通りには「好ましい」ということですが、盛岡弁では人をうらやましく思うとき「このますーな」と言います。「いいなあ」という言葉も単にそれが良いというのでなく、良くてうらやましいという意味になることがありますから、これと似ています。
「うらやましい」という言葉に関連して在の方で使われていた言葉を紹介します。工藤耐子さんから聞いた言葉で町方の人の知らない言葉のようです。一つは「したみずぐれぇになる」(下見作りになる)という言葉で、劣等感、引け目を感じているためにうつむきがちになることを言います。それと反対の言葉が「てんじょぷらむぐ」(天井を向く)という言葉で、得意になってふんぞり返っていることを言います。
現代と違って昔は、貧しい人と豊かな人の、男と女の、長男と二男以下の、本家と分家の、社会的な格差が大きかったのです。そのため、人のことをうらやましく思ったり、逆に得意になって人を蔑視すること(人)もよくありました。これらの時代は、そういう時代の意識を反映しているともいえましょう。
(岩手医大教養部教授)
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