■ 〈阿部陽子の里山スケッチ〉17 茶臼岳(ちゃうすだけ、1578メートル)
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八幡平アスピーテラインのくねくね曲がった道を車で走りあがり、源太岩の展望広場をすぎると、間もなくバス停「茶臼口」に着く。
すでに標高1340メートル、数台の駐車が可能である。ガードレール横のササをこいだところが、茶臼岳登山口。十和田八幡平国立公園を見下ろしながら、八幡平山頂まで全長9キロメートルの、快適なハイキングコースが続く。
茶臼岳に登ること50分〜黒谷地湿原まで25分〜源太森まで30分〜八幡平山頂へ30分、登りと平坦な道がミックスして、とても歩きやすい。途中には、新しく建てなおされた茶臼山荘や稜雲荘が点在し、夏のハイカーから冬のスキーヤーまで、安全の要所になっている。
9月1日、西根町・松尾村・安代町の合併により、茶臼岳は八幡平市になった。八幡平三大展望の一つ「茶臼岳」に出かけ、鳥や孫悟空のようにこの秋は、全エリアを俯瞰(ふかん)したら素敵(すてき)だと思うが、いかがだろう。
茶臼山荘から10分、コメツガのトンネルをくぐると、溶岩が露出したテラス状の山頂につく。眼下に広がるは大火口。南に裏岩手の山々が立ち上がり、ブルーの目玉のような夜沼・熊沼に、思わずふわーっと吸い込まれる。
「茶臼」は、全国各地でよく見かける山名だ。大正時代、高清水菊太郎氏が目録をつくった、と聞く。それによると、ほとんどが戦いの跡であったとか。その数120座をゆうに超え、200座に迫る勢いだったというから仰天する。
茶臼とは、一般的に「茶葉を粉にひく」石臼(いしうす)のこと。わたしは実物を見たことはないが、緻密(ちみつ)な輝緑岩でこしらえた黒い石の臼である。写真では、いかにも上質な細かい抹茶をひきそうにうかがえた。
余談だが、時は戦国時代にさかのぼる。命がけの戦いとなれば、縁起をかつぐもの。かくして武将たち、陣を敷くは「茶臼山」。1614年・大阪冬の陣における徳川家康が構えも、茶臼山だった。果たしてかついだ縁起とは……?
−「敵は粉々になる」−という祈願であったとか。
細かい粉なら茶臼がふさわしいと、策を練る拠点に好まれたという。茶と戦国にからむ山の文化史は、戦いに明け暮れたブラックな心情に迫っている。
さて、八幡平市の茶臼岳が気にかかる。坂上田村麻呂の討伐成就か、それとも蝦夷アテルイの意気込みか。もはや1200年の時は流れ、名のみ今に残った。
暑さ寒さも彼岸まで。9月末ともなれば、赤や黄に山が動きだす。茶臼岳はこれから思う存分、秋のカラーステージをのぞかせてくれるだろう。
(盛岡市在住、版画家)
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