なにしろ、この大事件の推移に関しては、みな(とくに東京市民は)固唾をのんでラジオ放送を待っていたから、二十九日朝の放送「兵に告ぐ」の反響は大きかった。
大阪毎日(3・1付夕刊)を見よう。
「香椎司令官の慈父の愛に満ちたラジオを通じての叛乱軍の兵に告ぐる諭告は一面所載のごとくであるが、その一言一句ことごとく大義名分を説いて、皇軍兵士を思う慈父の愛に満ち溢れ、聞くものすべて涙々切々感激の文字に包まれたものであったが、この諭告放送とともに飛行機によって同文を簡略に記したビラを撒布、また広告気球、ラウドスピーカーを使用して帰順を勧告するなど、無意識のうちに勅命に抗するようになった憐れな兵士を一人でも多く救いたいと万全の手段を講じたため帰順者続出し、二十九日午後二時、全く鎮定を見るにいたったのである。
〔京大 新村出博士談〕私は今朝、戒厳司令部の発表と『兵に告ぐ』の放送をつぶさに聞いて、本当にありがたさに涙のこぼれるのを禁じ得ませんでした。あの放送で曇った太陽を仰いだような気持ちをとりかえし、これで校務もとれる、書物も落ち着いて読める。どうかあの精神で事件の解決を進めて欲しいと蔭ながら祈りつつ、喜び勇んで大学へ参りました」
二・二六関係の短歌では、この放送に関する作品が最も多かった。前回に続いて、それを紹介しておきたい。
「兵に告ぐ」司令官のラジオひびきけりあつき涙ぞ胸をうつなる 『多磨』馬場
兵に告ぐる言や切なり香椎司令官のラジオの声は人を泣かしむ 中村正爾
かしこしや勅令一度降りたる兵の帰順のかく速やかさ 平塚伊都子
大御言すでに降りぬ帰り来よ兵と呼ぶラジオ涙して聴く 『心の花』鵜木保
感激の涙おのづとほゝをぬらす兵に告ぐとふニュースきゝをれば 大森すみ子
香椎中将勅を奉じて涙あり兵火交へず事は収まる 『潮音』太田水穂
一剣に血塗らず乱ををさめたる戒厳司令香椎中将 前田葵
砲火まじへず兵帰順すと告げて来しラヂオの声は太かりしかな 四賀光子
ラジオを聞いた人々は、ずいぶん涙を流している。それが人情であり、当時の人々のいつわらぬ姿であったのであろう。
しかし、それをどう作品化していくか、そこの表現にはしぜん、節奏があって当然である。ここでは、四賀氏を除いては、かなりに感激しすぎたのではあるまいか。
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