今月の18日は中秋の名月。ススキやお花やお団子を供えて、高く澄みきった秋の空に浮かぶ十五夜のお月さまをめでるお月見は、今に残る数少ないわが国の習わしの一つです。毎日の暮らしに追われて、こんな美しい風習があることをつい忘れてしまいがちですが、地上の喧噪(けんそう)から解放されるちょっとした機会かもしれません。
さて、今年の中秋の名月は満月ですが、年によってはごくわずかですが欠けた月をお月見することもあります。お月見に望遠鏡を持ち出すなどヤボなことでしょうが、レンズを通して見る月は、それが満月ですと1分とは見ていられないでしょう。正面から太陽の光を受けた月の表面には凹凸の陰影ができないので面白みに欠けるばかりか、ただただまぶしくて長くのぞいてはいられないのです。やはり年に一度のお月見は肉眼で、ということなのでしょう。
お月見とは別ですが、上弦や下弦などの欠けた月の場合はぜひ望遠鏡に登場願いたいものです。レンズを通して見る月の迫力と美しさは格別で、望遠鏡をのぞいた方ならどなたも異論はないでしょう。
大小のクレーターは言うに及ばず、奇怪な形の谷や急峻(きゅうしゅん)な峰々の連なる山脈、鋭く立ちはだかる独立峰や愛きょうのあるドーム型の山、海と呼ばれる暗黒帯に埋もれた幻クレーター、海の名にふさわしい幾重にも重なるさざ波の紋様。欠け際に沿って見られるこれらの地形は、同じ場所でも月齢によって影の付き具合が変わり顔付きが微妙に変化します。小さな望遠鏡でも興味深く観察することができる月は、やはり一番身近な天体です。
ところで、月面の何百という地形には西欧の学者などさまざまな歴史上の人物の名前がついています。アリスタルコス、ケプラー、アルキメデスなどなど、命名の多くは17世紀のイタリアの天文学者リッチオリによるものです。
リッチオリは地球が太陽のまわりを回るとする地動説に反対した人で、そのためか日立つ大きなクレーターには天動説支持の学者の名前を与え、地動説を唱えた人の名前は小さめのクレーターに付けたといわれます。
こうした天文の世界はまだしも、政治や一般社会におけるリーダーたる人が宗教や信念に凝り固まり、背く者は葬ってしまおうとする自己愛性人格異常者であったり、それをもてはやす人たちにはびこられたのでは、たまったものではありませんね。
(盛岡天文同好会会員)
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