■ 〈盛岡ことば入門〉261 あー、いだますごどすた
|
一七八、その四
G気持ちがよい・悪い−きびぁえー・きびぁわりぃ・こきびえー
ア、(毛虫を見た子供が叫びました)「あっ、げだがぁ(毛虫が)いだ。きびぁわりぃ、きびぁわりぃ」
(傍らにいた子供が言いました)「なに、げだがみだの(毛虫みたいなもの)おっかながって(怖がって)、このずぐなす(意気地なし)」
「〜みだの」(みたいなもの)は、在では「おんたの」(ようなもの)と言うことが多いようです。「おめおんたの(おまえのようなもの)」「わらすおんたの(子供のようなもの)」のように使い、多くの場合、軽い侮蔑(ぶべつ)の気持ちがこめられています。
イ、(金持ちでいつも威張っている男が事業に失敗し「かまどけぇし」したのを見て、ある人が言いました)「いっつも、ごんけばりはいでで(空威張りしていて)、すっぽろぎになった(一文なしになった)、あー、いーきび、いーきび、じゃまぁいがった(ざまぁみろ)」
「そんたなごど、そうもんでね」(言うものでない)。むじぇーやなぁ(かわいそうに)」
「きび」というのは共通語の「きみ(気味)」の訛(なま)りです。「きみ」が「きび」になるのは、「さみしい」が「さびす」になるのと同じ現象で、ここにも盛岡弁の鼻音を好む傾向が現れているといえるでしょう。(「びbi」の子音bは両唇のところで息を破裂させて出す鼻音です)
「じゃま(様)」も「ざま」の訛りで、「さる(去る)」が「しゃる」になるのと同じで、舌の位置が上の方(軟口蓋=がい)にずれる現象です。「ざま」は「さま」(様子、有様)をあざけっていう語で、濁音になるとこういうニュアンスが生じるのは、面白いことです。
Hもったいない−いだわす・いだます・いだみった
ア、(手にもっていたお菓子を落とした子供が言いました)「あー、いだみったごどすた。なげるすかね」
「ちゃちゃど、かせればいがったのに、けつすて(けちをして)そんすたなー」
イ、(せっかくのご馳走を腐らせてしまった人が言いました)「あー、いだますごどすた。あめですまって(腐らせてしまって)、はあ(もう)かれね(食べられない)」
「いだみった」は、もったいないということで、「いだます」とか「いだわす」とも言います。共通語では「いたわしい」で、その訛りです。その動詞は「いたむ(痛む・傷む・悼む)」です。「いたわしい」は、いたんでいる、ということから、惜しいとかもったいない、という気持ちを表す言葉(意味)になりました。
「いだみった」というのは「いたみいった(痛み入った)」の訛りで、時代劇などでも恐れ入る、という意味でよく使われています。「いたむ」は、身体や心に苦痛を感じるということで「いたみいった」は、たいそう苦痛に思う、たいそう感じ入る、ということです。
大切なものを失ったとき、あるいは大事な人に先立たれたときなど心が痛みます。それで、「いだみったごどした」などと言います。共通語の「もったいない」と言うより、「いだます」「いだわす」「いだみった」などという言葉の方が、心やさしく感じられます。
飽食の時代、物のあふれている現代にあって、消費、いや浪費こそ美徳、といわんばかりに物が使い捨てにされています。しかし地球にある資源は限られている、というのは厳然たる事実です。「いだます」「いだわす」という感覚を取り戻すべきではないかと思います。そのためには、こうした言葉を思い出し、そこに込められた先祖の思いを味わって見るのもよいのではないでしょうか。(岩手医大教養部教授)
|
|
|
|
|
|
|