■ 反戦の川柳作家をしのぶ 盛岡市西松園の碑前で18日に鶴彬祭
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盛岡市西松園にある鶴彬川柳碑「手と足をもいだ丸太にしてかへし」
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盛岡の墓所に眠る反戦の川柳作家、鶴彬(つるあきら、石川県出身)をしのぶ鶴彬祭(川柳人社主催)が18日午後1時半から、盛岡市西松園1丁目の松園観音墓地内・鶴彬川柳碑前で開かれる。鶴彬の墓が発見された翌年(1977年)から、県内の川柳人らが静かに供養を続けてきたが、今年は鶴彬研究家の深井一郎氏(金沢大名誉教授)を迎え、講演会とシンポジウムを開くことになった。県内小学校の授業で鶴彬の川柳を取り上げるなど、若い世代への広がりもあり、県川柳連盟会員の宇部功さんは「平和を願った鶴彬の川柳は現代にも生きる。鶴彬顕彰は岩手と石川の交流にもつながりそうだ」と話している。
鶴彬(本名・喜多一二)は、1909年石川県河北郡高松町生まれ。15歳のころから川柳を発表し、生涯に詩14編、川柳1044句、評論85編を残した。29歳のとき、作品が反戦的であると拘束され、1938年9月14日に獄中で亡くなった。
遺骨は盛岡市在住の兄によって同市の光照寺墓所に埋葬されたが、研究者によって墓所が確認されたのは 1976年だったという。
「手と足をもいだ丸太にしてかへし」は、亡くなる前年28歳のときの作品。盛岡市の川柳碑の碑文にもなっている。
同じ年の作品に「屍のゐないニュース映画で勇ましい」「胎内の動きを知るころ骨がつき」などがあり、「戦争の悲惨さを伝えるもの」と宇部さんは言う。「東北地方に重ねてみても、稼ぎ手を失った遺族の苦しみが表れているようだ」と話す。
鶴彬と岩手は不思議な縁がある。生前に投稿した川柳同人誌「川柳人」(今年9月で863号)の発行が、胆沢町の佐藤岳俊さん(川柳人社代表)に受け継がれるなど、岩手の川柳人の心にも生き続けた。
小学校高学年を対象に川柳の授業を持っている宇部さんは、児童に鶴彬の川柳を紹介し、感想文を書いてもらっている。戦争の恐ろしさとともに、反戦を貫いた鶴彬の生き方は子供たちにも強い印象を与えたという。
宇部さんは「盛岡での取り組みが金沢で紹介されるなど、地元石川でも顕彰活動が広まっているようだ。反戦の川柳作家がいたということを、盛岡の人にも知ってもらいたい」と話していた。
鶴彬祭は、井上剣花坊(いのうえけんかぼう、鶴彬の師)祭と併せて開かれる。川柳碑前で2人の作品が朗読されるほか、献句、献花が行われる。同市上田字松屋敷の介護老人福祉施設「さくらぎの里」に会場を移し、深井氏の講演会とシンポジウム「鶴彬と井上剣花坊」が開かれる。
問い合わせは、佐藤岳俊さん(電話0197−47−1071)。
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