2005年 10月 1日 (土) 

       

■ 〈たきびの詩人巽聖歌〉167 小川達雄 2.26事件と歌人19

 渡辺教育総監夫人の場合は、食堂で朝食の用意を整えていた折り、トラックの轟音と警戒の憲兵を叱咤する声がして、夫人がふり返った時には、銃剣を擬した兵士の群れがあった。夫人は正面に立ちはだかって声を振り絞り、「主人を撃つなら私から殺して下さい」と叫んだが、たちまち傍らに押し退けられ、追いすがる所を突き倒されてしまった。

  夫人がすぐ、勇気を奮い起こして奥の寝室に駆けつけた時、総監は弾丸を撃ち尽くしたピストルを握りしめたまま、すでに息は絶えていた。夫人はただちに電話で中野憲兵隊と荻窪署に事情を通報したが、それは騒がない、落ちついた声であったという。

  危難に際して沈着に振る舞った女性については、まだほかにいくつも伝えられている。

  湯河原の旅館で牧野前内大臣が襲撃された時、看護婦の森すずえさん(三十一才)は右腕に兇弾を受けながらも、女中二人を励まし、伯爵夫人と令嬢に着替えをさせ、牧野伯を女ばかりの中に隠して裏山に導いた。

  「東京日日」3・6付によれば、身代りの首相義弟、松尾大佐の遺骸が置かれた官邸では、首相生存を知っている女中秋本さくさん(二十九才)と府川絹さん(二十才)が、反乱軍の避難命令に対して、

  「旦那様の御遺骸があるうちは、一歩もここから立ち去ることは出来ません」

  と答えて、女中部屋から動かなかった。その押入れの奥には、彼女たちの機転によって岡田首相が匿われ、後に弔問客にまぎれて脱出することを得たのである。

  また朝日新聞社では、反乱軍によって全社員が退去せしめられた後、四階電話交換室では、四人の交換嬢(岡本ふみ、岡田ふさ、矢橋なつ、森田キミ)が部屋の表札を外し、内側からカギをかけて外部と関西方面の連絡を取り続け、職場を死守した。

  「四階の廊下に軍靴のひびきをきいた時は、生きた心地はしませんでした。どん
  なことがあっても絶対に離れまいと悲壮な決心をして、毛布を頭からかぶって仕
  事をしていました」

  この時のことを、ねずまさし(前掲書)はこう記している。

  「落ちついていたのはエレベーター嬢も然り、非常呼集ででてきた彼女らは職場
  を守って動揺しなかった。緒方(注、竹虎主筆)が三階と一階を上下する間、ピ
  ストルをもった中橋(注、反乱軍の隊長)と応対している緒方を目前に見ている若
  い女性にもかかわらず、驚きも慌てもせず、落ちついてエレベーターを運転した。
  〜交換嬢らは三月の花の節句に、社から表彰の感状をおくられた。緒方は終生エ
  レベーター嬢をほめたたえ、人々に語っていた。」

  こうした、2・26事件のエピソードには、なにか襟を正されるような思いがしてならない。この事件にはまた、勇敢に戦って殉職した、五人の警官がいた。

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