鹿児島県出身の山本実彦は、新聞記者から東京毎日新聞社社長となりましたが、政治家を志して失敗しました。大正8年4月、心機一転、改造社を興して総合誌『改造』を創刊したのです。
時、まさに第一次世界大戦直後、『改造』は社会問題や労働問題など急進的な論文を取り上げて、『中央公論』(明治20年創刊)をしのぐ名声をあげました。
『改造』に連載された賀川豊彦の『死線を越えて』がベストセラーとなり、勢いに乗る山本は「近代日本文学全集」を発刊、円本時代を拓きました。
さらに、総合出版社としての先覚的企画で『文藝』『短歌研究』『俳句研究』など文芸誌を、次々と創刊するのでした。
大正11年10月創刊の婦人雑誌『女性改造』も、その過程の中での一誌ですが、あらゆる因習を打破し、女性が不当な忍従から開放されるための、知的啓蒙雑誌として話題を呼びました。
当然、平塚らいてう、山川菊江、生田長江、神近市子、与謝野晶子、野上弥生子らが書き、外国からも、サンガー夫人、ラッセル夫人、ストーナー夫人など、この時代の女性運動家や文筆家がそろうのです。
また、文芸部門にも力を入れ、菊池寛、芥川龍之介、佐藤春夫、武者小路実篤、谷崎潤一郎らを擁しました。しかし、どんな訳があったのでしょうか、大正13年11月号をもって休刊となったのです。
それから22年、昭和21年6月、第二次『女性改造』(A5判・96ページ)が創刊されました。
戦後いち早く女性の地位向上に貢献した婦人雑誌として、中央公論社の『婦人公論』とともに並び称されるのでした。
山本は、創刊の辞で「改正憲法草案は、すでに男女の平等と、両性の合意による婚姻の成立、並びに夫婦の同権を明記…」と書き、本誌創刊は女性解放の協力者、女性の代弁者、女性の立場から言論を展開するものである。と宣言します。
さらに創刊号には加藤シズエ、坂西志保、宮本百合子、壺井栄らが、敢然として書くのです。
日本に「婦人開放」という言葉があったことすら忘れてしまうほど遠い日の『女性改造』ですが、男女同権が当然の今日、この婦人運動の変遷は若い人たちへ伝え続けることが大切です。
(毎週日曜日掲載)
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