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「観音菩薩」 |
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今、なぜ水墨画か。独断と偏見の寄稿ですが、盛岡タイムスさんのご好意で連載させていただきます。
材料の文房四宝や技法のこと、作家や作品の感想など、思いつくまま書かせていただきます。描くお役に立てれば幸いですが、描かなくても少しでも水墨画を見る楽しみが増えますようにと願っています。
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例年8月末に1週間だけ銀座を水墨画一色に塗りつぶそうという試みが今年で11回を迎え「銀座水墨画フェスティバル」として10人による個展に合わせ掛け軸による公募展が開催されました。水墨画は誰でも簡単に描けると人気が上昇しておりますが、材料の文房四宝「墨、紙、筆、硯(すずり)」は人間が作ったものでありながら人間の力の及ばない不思議な魅力に包まれたものです。従ってこれによって描かれる水墨画は奥の深い魅力に満ちた芸術といえると思います。
水墨の本来の魅力は色彩では企及できない自由奔放さにあると思います。色彩だけで描くときは物の描写が説明になりやすい傾向にあり、例えば山を色彩で描くとそれは眼前に展望する山岳の姿になりがちで、それを一つの超自然的な仙境として表すとすれば水墨の方が自由です。
水墨画の伝統は東洋の絵画表現の中核をなすほど巨大ですが、その伝統にもかかわらず水墨には無限の未知が待っています。それというのも水墨は目前の事実の説明ではなく人の心境やその理念やその憧(あこが)れや感興から自由に変化するからで、この現代に水墨はまだまだ開拓をもつと田近憲三さんが書かれているように可能性は非常に大きいと思います。
科学技術が進み、宗教がおろそかにされ芸術が科学に巻き込まれたような現代、洋画も日本画も低迷しているように思われます。
しかし水墨の和紙に広がる神秘は決して科学で解き明かせない魅力をもっています。
書家の篠田桃紅さんが「霧の深い日はことに墨のいろがいゝ。黒いいろが、霧も含んだようにきめこまかくて筆がのびやかになる。水墨画とはよくいったもので、いったん乾いた旧作の墨も取り出してひろげると湿りを吸って黒色が鮮やかに生き返る…水墨は日本のような湿潤な風土のなかでこそ在り得るもので乾いた風土の欧米では育つはずもない芸術だ」と言っています。確かに日本の四季は美しい。その美しさを素直に喜ぶことで墨の魅力は濁った心を浄化してくれるような感動をもたらしてくれます。
美は心の美の現れで心の醜なるものには棲(す)めない。善は美を棲み家とするともいわれます。
「芸術の第一義は深い内生活の発現であるから作者の内生活が充実し且(か)つ熟してあらねばならぬ。でなければ、いくら筆をとっても結果はいつも空疎である」と村上草岳が言っているように、作家の人間性を写し出すものであるならば、美に対する敬虔(けいけん)な気持ちが水墨画の本質であると思うのです。
宗教と芸術は自分が信ずることでは共通しています。自分の価値は自分で評価するものではなく、すべて仏の手の平の中での出来事とわたしは考えています。極彩色の生活環境ですが、色彩の雄弁さに比較して墨は寡黙です。この静寂と安らぎが、醍醐味(だいごみ)でもあるのです。
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