2005年 10月 8日 (土) 

       

■ 〈たきびの詩人巽聖歌〉169 小川達雄 2.26事件と歌人21

 この事件の審判、東京陸軍軍法会議は三月四日に設置され、四月二十八日、将校グループに対する公判から始まった。そして七月五日に一審即決、上告なしで十七名が死刑、禁固刑は無期から一年六ケ月まで五十六名の判決があった。そしてその一週間後には次の陸軍省発表があった。

  「安藤、栗原ら十五人の死刑執行
  (陸軍省発表七月十二日午後六時)去る
  七月五日、死刑の判決言ひ渡しありたる
  香田清貞、安藤輝三、栗原安秀、竹蔦継
  夫、対馬勝雄、中橋基明、丹生誠忠、坂
  井直、田中勝、中島莞爾、安田優、高橋
  太郎、林八郎、渋川善助、水上源一は本
  十二日、その刑を執行せられたり。(昭
  和11・7・12付東京朝日)」
  ※村中孝次、磯部浅一は北一輝らの取調
   べのため死刑執行は一年延期。
  この日の死刑は銃殺である。その音が近くの市民に聞こえないように、午前七時から射撃演習が行われたという。

  これの号外について、斎藤茂吉はこう詠んでいる。

  号外は「死刑」報ぜりしかれども行くも
  ろつびとただにひそけし
  また、北原白秋はこう詠んだ。
  一人一人銃をそろへし目先(マナサキ)
  に立ちしづかりきしかく思はむ
  銃殺の刑了(オハ)りたりほとほとに言
  絶えにつつ夕飯を我は
  茂吉は、街頭の市民のひたすらな沈黙をあげて、事件に対する自分の痛憤を述べるよすがとした。その日記とは違って、甚だ押さえた表現であることに注目したい。

  白秋は、銃殺刑の一人一人は、銃口の前でもはや静かにしていた、自分はそう思いたい、というのである。こうした白秋の思いは、昭和維新などという、強烈すぎる彼らの意図に対して、どうしようもなく発せられた感想であったろう。げんに、死刑となった磯部浅一は、その遺書に、こう記していた。

  「諸君強盛の魂に鞭打ちて最一度二月事
  件をやり直せ、新義軍を編成して再挙し、
  日本国中の悪人輩を討ち尽せ、焼き払へ、
  日本国中に一人でも吾人の思想信条を解
  せざる悪人輩の存する以上、決して退譲
  すること勿れ、日本国中を火の海にして
  も信念を貫け、焼け焼け、強火の魂とな
  りて焼き尽せ、焼きても焼きても尚あき
  足らざれば、地軸割りて一擲微塵にして
  其の志を貫徹せよ」(河野司編『二・二
   六事件─獄中手記・遺書』)
  白秋はこうした怨念に対して、もはや言葉もなかった、ということなのであろう。それは次の歌に、「ほとほとに言絶えにつつ(ホトンド云ウコトモナク)」と云っていることでも察せられる。

  茂吉と白秋は、それぞれにこの事件から受けた衝撃を述べたが、わたしはこの七月十二日、読売に報じられた青年将校たちの遺書発見に関して、その時無期禁固の刑を受けた麦屋清済元少尉(九十五才)が語った言葉に、強いショックを受けた。

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