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「雑花(ぞうげ)」 |
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水墨画は中国から伝わりさまざまな表現方法が生まれましたが、大きく分けると絵を専業とする画家による北宗画と文人が描いた南宗画に分けられるようです。
水墨の源流は北に起こり、筆を研いで骨気を孕(はら)ませ理知の世界を鋭く描く北画の堅牢さは周文や雪舟に流れが望まれます。一方、中国ではあまり高く評価されなかった牧谿の暈幻感覚は、日本に影響を与えました。南画のにじみや暈(ぼか)しの感覚は墨という妖気と魔性を孕んだ顔料のユニークさからやってくる。宜紙においた墨を一滴が無彩の色を変幻させながら、濃淡陰影を妖しくかもしつつ広がってゆく不思議な美しさです。
岩崎正人先生のお供をして、南禅寺展を拝見したとき「空間が素晴らしいですね」と、足を止め、わたしにも見るようにうながされた絵は「秋景冬景山水図伝徽宗」で空間は決して塗り残しではない、描かれたものであることを感じることができ、大きな収穫でした。
この美的表現は東洋特有の感覚といえましょう。また南画は写生を主とした絵画より観念的な絵が主流となっており、李唐山水図は遠くの大きな山を十分淡墨を含ませた筆を刷毛で描き、近景の岩肌は渇筆に近い形で筆に少量の墨をつけ側筆というより筆を画面に寝せるようにして岩肌を表現しています。
剛毛の筆、枯れ草の筆、等筆の工夫でも技法は拡大します。
昨年、京都彩雲堂でご主人が試しにつくったという、稲の穂による筆を手に入れました。一回収穫したあとに生える稲の穂は、実をつけないので、折れないように乾燥したもので、吹き墨の技法に適している楽しい筆です。
さて、今回は吹き墨を考えてみたいと思います。
墨で紙に描くとき、筆ではとうてい描くことのできない手法で、中国では吹雲(すいうん)と呼ぶ手法があります。墨を吹き付ける技法でもうもうたる濃霧の表現とか、雲煙のたなびく情景の描写にこの手法は古く秦のころから使われていたそうです。牧谿作と伝えられた竹雀図は、細い枝に寄り添う2羽のスズメのとまる樹と竹の葉を大小不規則な墨の粒滴をちりばめることにより、感覚的に融合させようとしたものでしょう。幹のない竹の葉が霖雨(りんう)=(3日以上降り続く雨)の中から浮かび出ているように見えます。
デザイン等で使われる吹き付けは、カラス口で引いた線同様、変化のない無表情な描法で水墨画の技法としてはなじまないと思います。
写真、印刷、テレビ映像といった技術は年々進歩をとげ、複製も素晴らしく映像や化学染料など現代科学の産物による画材で、描かれている作品でも高い評価を与えられるものもありますが、作家の主張を具体的に整理してあいまいなものを排除、いささかの余裕も残さないこれらの作品は本質的に水墨画とは違うと思います。 |