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ウィーン9区ゾイレンガッセ3番地、シューベルトが「魔王」を作曲した家。現在も個人所有で、シューベルト・ガラージュと車の修理屋となっている |
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先日、パリのあるデパートでのこと。レジに並んでいると目の前に日本人観光客とおぼしき女性2人がなにやら話をしている。その日本語がなんとも懐かしい響きを持っているのに、わたしは反射的に耳をそばたてた。そして彼女らに話し掛けるのを抑えられなかった。
「あのう、どちらからいらしたんですか?」「わたし、北上」「わたし、盛岡…」、やわらかな語感で返事が返ってくる。心にじんわりとしみ通るようだ。その温かくほぐれるような感覚にほっとしたと同時に、それをむしろ求めている自分に驚いた。昔学校で習った歌が頭をよぎる。
“ふるさとの訛(なまり)なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく”
さかのぼること十数年、6つ上の兄が東京の学校に入ったころ。しばらくすると彼の言葉が微妙に変わった。洗練されたのである。それに心の中で反発したのであったが、しばらくすると、わたしもその気持ちが分かるようになる。
15歳で東京の高校へ入ると、都会育ちの同級生の手前、盛岡弁が出ないようにとイントネーションに細心の注意を払ったものだった。それも今となっては懐かしく、あの緊張を笑って思い出す。
外に出ることで内のことがよく見えることが多々ある。実質的、時間的距離を置くことで、ものの価値や状態がはっきり見えてくるのだ。
今では年に1度くらい盛岡に帰るが、まずはなじみの道をぶらぶらと歩く。ここは変わった、ここは変わってないと犬の散歩よろしく点検をするのだ。そうして自分の根っこに癒やされる。まちも変わり、自分もまた変わっていく。そこから離れるほど、時折自分の出発点〜アイデンティティー〜を確認することが、ますます必要になっているようだ。こうして現在位置を確認し、わが来し道のりを思うのである。
そんなことを思っていたら、古い写真が1枚出てきてしばらく目が離せなかった。わたしの知らない曾祖父母のころのものである。
家の前で一族勢ぞろい、もんぺにほっかむり、背には鍬(くわ)を担いでいる。この人たちは曾孫がベートーベンだシューベルトだと言っているのを、きっと予想もしなかったであろう。そしてわたしも自分の末裔(まつえい)をうまく思い浮かべられない。
わたしの前にも道はあり、わたしの後にもそれは続く。不思議さが込み上げるとともに、自分もまた歴史の一片なのだと厳かな気持ちにもなった。(ピアニスト)
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