2005年 10月 14日 (金) 

       

■ 軍部に対抗し文民統制狙う 満州経営の方針示す原敬の書簡発見

     
  初公開される原敬の佐久間佐馬太あて書簡(一部)  
 
初公開される原敬の佐久間佐馬太あて書簡(一部)
 
  内務大臣在職当時の原敬が、台湾総督佐久間左馬太にあてた書簡が盛岡市本宮の原敬記念館に寄贈され、20日から始まる同館企画展で初公開される。南満州鉄道の初代総裁に後藤新平の起用決定を伝えたもの。後藤は当時、佐久間の下で台湾総督府民政長官を務めていた。わざわざ書簡を出した背景には、後藤と佐久間の信頼関係が損なわれないようにとの配慮があったとも推し量られるという。

 書簡は封書で、外封筒と内封筒の中に書面が収められている。すべて筆書きで、封筒の表面に佐久間総督殿とあて名を、裏面に原敬と差出人を書き、親展の朱書き。書留で送られ、厳重な封印が施されていた。

  書面の日付は1906年(明治39年)8月15日。原は第1次西園寺内閣内務大臣、佐久間は台湾総督の立場だった。手紙を要約すると「満州鉄道の経営には後藤が是が非でも必要で、閣議で総裁起用を決定した。後藤には辞退されたが、ほかに適任者はなく本人も応諾した。後藤の総督府民政長官任務について佐久間と約束があったと聞き及び勘案したが、国のためいかんともしがたい。満州は鉄道によって経営するほかに良策はない」といった内容になる。

  『原敬日記』には、同年8月2日「昨夜後藤新平来訪、南満州鉄道総裁たる事を内諾せし旨物語れり。(中略)佐久間大将台湾赴任のとき当分後藤を動かさゞるの内約ありしに因り、其点に関し佐久間より来書ありたれども、佐久間は台湾より以上の必要あれば異議なしと申越に付大概折合はつく筈なり」とある。閣議のあった同月14日には、満州鉄道の命令書に対し「余の意見通り閣議決定せり」と書かれている。

  佐久間の前任は陸軍大臣を務めた児玉源太郎。児玉総督時代の1898年、後藤は民政局長(のちの民政長官)に抜てきされ就任し、佐久間が引き継いだ06年4月以降も後藤は職にとどまった。

  満鉄の総裁人事は内務大臣であった原の意向が強く反映される状況だったが、佐久間が拒否すれば後藤総裁は実現しなかったかもしれない。後藤総裁誕生をめぐる周囲の事象を物語る書簡と言える。

  木村幸治館長は、原に満州は植民地ではなく鉄道経営によって日本の影響力を持つべきとの考え方があったと説明する。陸軍の満鉄の経営権を握り植民地化を進めようとした意図を感じ取った原が「シビリアンコントロールしようとする狙いがあったと考えられる」と指摘する。後藤は陸軍に顔が利く民間人で、行政官の実績もあったことが大きかったとみられる。

  木村館長は「原が中国との関係を植民地化した軍事支配ではなく共存していく外交を描いたのは、総理になってからの政策で分かっていたが、後藤の起用から内務大臣時代に既にそのような考え方をしていたと思われる。原が軍事立国ではなく経済立国を進めようとした基本、スタートに当たる」と話す。

  書簡は青森県内の男性から同館に寄贈された。書簡の存在が公にされるのも公開されるのも初めて。


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