2005年 10月 17日 (月) 

       

■ 病床の賢治が思いはせた青春時代 岩手公園で碑前祭

     
  宮沢賢治の詩碑「岩手公園」に献花する参加者たち  
 
宮沢賢治の詩碑「岩手公園」に献花する参加者たち
 
  宮沢賢治の会(亀井茂会長)主催の第36回宮沢賢治詩碑「岩手公園」碑前祭が16日、盛岡市内丸の同公園の賢治詩碑広場で開かれた。会員ら約30人が訪れ、献花や賢治作品の朗読などが行われた。

  亀井会長は「この詩は病身の賢治が文語詩を志し、盛岡での青春時代を懐かしみながら創作したもの。岩手公園や中津川の風景のほか、最後の部分にはタッピング一家とのかかわりなど中学時代の思い出も盛り込んだ。青春時代や晩年の賢治の心境を思いながら、賢治がめでた盛岡の美しさを懐かしみ、めでたいと思う」とあいさつした。

  来賓を代表して杜陵小の佐々木郁二校長が「本校では全校児童が春と秋に、岩手公園で弁当を食べる行事をするなど、深いつながりがある。先日は3年生が総合学習の時間に、岩手公園のガイドになろうという取り組みを行った。中には賢治の詩碑を取り上げたグループもあり、相当勉強したようだ。恵まれた環境の中で、子供たちが伸び伸び生活、勉強していることを報告したい」と話した。

  「碑前随想」は会員の力丸光雄さんが担当。賢治が最後に詠んだ短歌の1首「病(いたつき)のゆゑにもくちんいのちなり/みのりに棄てばうれしからまし」の「みのり」について、従来言われてきた稲の「稔り」、仏法の「御法」以外の自説を展開した。

  「『稔』は『とし』とも読む。それは穀物が1回採れることを1年と数えたことによる。あの歌には妹の『トシ』が隠されていたのではないか。『これでようやくトシのところに行ける』という意味ではないか」と話した。

  中村伸一郎さんの指揮による、コーラスせきれいのメンバーの合唱や、同会の吉田六太郎前会長の「アメニモマケズ」の朗読のほか、参加者全員で「農民芸術概論綱要」を朗読し「星めぐりの歌」を合唱した。その後は杜陵老人福祉センターに場所を移し、同会の研究報告会などが行われた。

  文語詩「岩手公園」は賢治が、死の1カ月前の1933年8月に病床で清書し終わった「文語詩稿一百篇」の中の一つ。

  同詩碑は「賢治の詩碑を岩手公園に建てる会」により、70年10月21日に除幕。その後、毎年この時期に詩碑祭を行っている。

本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします