2005年 11月 1日 (火) 

       

■ 〈水墨画の魅力〉5 橋本哲郎 岩野さんの紙

     
  「蓮池観音」  
 
「蓮池観音」
 

 「絵、ことに東洋画においては線が最も大切である。この線の重要さは啻(ただ)に絵のみならず、書においても舞踊においても又建築においても同様である。だから線で描くことは絵具を塗ることよりも芸術的に見え、遙かに価値あることであって、いゝ線を引くことは画家の決定的な重大使命であると思われる。線は宗教上の悟得(ごとく)に似通うもので、画家としての修業の根本をなすものである。つまり、画家でも書家でも舞踊家でも又建築家でもこの一本の線の神性を把握するのが彼等の重大使命である。彼等は畢竟(ひっきょう)誠意ある又、熱烈なる線の行者であらねばならぬ」。これは村上華岳の画論です。このような厳しい線を受けて、あますところなく表現できる紙があります。

  あいまいな線を拒否するような紙です。紙すきの厳しさを写し出すような紙です。はっきりした線を引かないと、あいまいな考えで引いた線はつながらない。濃い線もきっちり引かないと、水を入れたときにぼやけてしまうし、薄い線は弱いと勝手にぼける。薄い墨でも力強く、勢いよく引くと、美しいぼけ具合を残してくれる満足いく線が得られるのです。ようするにごまかしがきかないのです。

  人間国宝九代岩野市兵衛さんのすく紙はこんな紙です。

  福井今立の和紙の里を訪ねたとき、岩野さんは奥さんとおばあさんの3人で家の中に引き入れた小川に浮かべたザルの中からたたいた楮(こうぞ)のちり取りをしていました。この作業が紙の良しあしを決めるんですと説明してくれるおばあさんの手は太くゴツゴツしています。小さい傷も見逃さない作業に頭が下がる思いがしました。一枚の紙の大切さを教えていただきました。妥協を許さない厳しい紙は墨の価値も明らかにするし、技量と相まって和紙の本当の美しさを見せてくれます。

  このように、匠(たくみ)といわれる人々が、どの分野にもたくさんおられましたが、今はどんどん減ってしまわれました。

  白洲正子さんの「日本のたくみ」の中に、本格的な石積みができる職人は現在一人しか残っていない。粟田乃喜三さんが「石積みは下手に積むと石が暴れる、石に従うことがわしらの努めなんです」と書いてあり、上手に積めば千年もつという。

  合理的なものに追われて用の美は衰退し、匠といわれる人々は芸術家に祭り上げられ、作品は使われることなく美術館に直行、ガラスケースに収まってしまうような時代です。

  本物の匠といわれる人々が少なくなったのは、使う側のわたしたちにも責任があると思われます。
  草木染めに精魂を傾けている、志村ふくみさんに白洲正子さんが、一つ大不満があると書いています。「美しい着物は絵画に匹敵する芸術品であるから、眺めているだけでも楽しむことはできるが、着物である以上まず、用に立つことが先決問題であり、着心地がよくて着物は完全に美しいといえるのだと思う。もっと糸を研究してほしい。いい糸を用いれば彼女の色彩は一層美しくなるし、保存もよくなる。このことは実際に着てみて初めていえる」と。

  また、砥石(といし)のことで浅草辺りの砥石屋さんから聞いた話ですが、あるとき一人の老人が飄然(ひょうぜん)とその店へやって来てショーウインドーに飾ってあった砥石の値段を聞いたそうですが、それは京都の愛宕山でとれる最高級の仕上げ砥で、当時200万円もしたが、老人は当たり前のような顔つきで買っていったそうです。後でその老人は平櫛田中さんであると分かったといいます。
  当時の彫刻家はそんな道具を使っていたのかと驚き、着物も彫刻も美的価値を正しく評価する人が少なくなったのではないかと残念に思うのです。



 


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