2005年 11月 2日 (水) 

       

■ 〈盛岡ことば入門〉268 黒澤勉 なんも、こまずねくて

 一八五、消えかかっている不思議な言葉たち(つづき)
 
  M汚い−こまず・こまずね
  昔(昭和30年ごろまで)は、日本人の暮らしは総じて貧しく、不潔にもなりがちでした。盛岡弁で、汚いこと、食べ物がおいしくなさそうなことをいうのに「こまず」「こまずね」という言葉があります。

  「あいや、せっかぐつぐったのさ、めしつぶぁ(飯粒が)へってら(入っている)、こまずねぢゃ(汚いよ)、とれとれ」「つけものも、なんも、こまずねくて(汚くて)、かれね(食べられない)」などというように使います。その他「そんたら、こまずねぇもの、きるな(着るな)」「そったら、こまずねぇもの、ひとさ、やらねんだ(人にやらないで)」「ひとぁ(人が)、ちょしたのぁ(いじったのは)、こまずねくて(汚くて)、かれね」など、月1回開いている盛岡弁研究会でも「こまずね」を使ったさまざまな例が出てきました。

  そんなに多く使われる言葉なのに、ルーツがよく分かりません。いろいろと考えているうちに「こまず」は、「まずい」という形容詞に「こ」という接頭語が付いた言葉ではないか、と思い当たりました。

  「こざがす」(こざかしい)「こばがくしぇ」(ばかくさい)「こさびすねぇ」(寂しい)のように「こ」は接頭語として、形容詞の上によくつきます。この「こ」を添えることによって、少し、とか、いささか、ちょっとと意味を和らげる働きをしています。「こまず」は「まずい」を和らげ、軽くした言葉でしょう。(ストレートに「まずい」とは言いにくいものです)。

  「こまず」が、何回も使われているうちに、まずくて汚いことをいうようになり、さらに味とは関係なく、単に「汚い」ことをいうようになったものではないか…。

  ですから「こまず」「こまずね」は食べ物について使われるときは、いかにも汚そうで、食べられない、といった感じで使われます。また、「こまずね、くらす」などというときの「こまずね」は、貧しい暮らしのために汚くなりがちな生活を表す言葉で、「貧しい」という意味合いも含んでいるようです。

  一言でいって「こまず」「こまずね」という言葉には、かつての貧しい暮らし、不潔になりがちな、おいしいものなどなかなか食べられなかった時代の思いがこもっている、といっては、言い過ぎでしょうか。

  Nたらふく−こふらけぁ、こふらけに
  盛岡弁でおなかいっぱいに、ということを「こふらけぁ」「こふらけに」と言います。たとえば「こふらけぁ、くった」「こふらけに、ごっつぉになった(ご馳走になった)」「んめくて(おいしくて)、こふらけぁ、のんですまった」などと言います。「こふらけぁ」「こふらけに」とは面白い言葉です。一体、どこから来た言葉でしょうか。

  「たらふく」という言葉に意味も、発音も似ています。おそらく「たらふく」が変化した言葉でしょうか。それとも「ふくるる」に「こ」が付いて、それが変化した言葉でしょうか。そのいずれかだと思われます。(ちなみに「たらふく」は「鱈腹」と書きますが、これは当て字で、「足らふ」に「く」という接尾語ついたもの、あるいは、「足らひ」「ふくるる」が詰まったものではないか、といわれています。)

  O賢い−さがす・こざがす
  盛岡弁では、賢い、ということをいうのに「さがすー、わらすだごど(子供だこと)」のように「さがす」を使います。「さがす」は「さかしい」のなまりで、「こざがす」と上に「こ」を付けると、ずるい、悪賢いと、マイナスイメージの言葉になるのは面白いことです。

  これは「賢さ」というものが、ややもすればずるさ、ずる賢さに転じやすい、ということを示しているのかもしれません。「あのひとぁこざがすね、きいつけねあ(気をつけなくては)なんねんぢぇ(気をつけてなくてはならないんだよ)」「おどなしくて、そこっとしてるよだども(静かにしているようだが)、こざがすね。きいつけで(気をつけて)、つぎあいするんだぢぇ(つきあうんだよ)」などと、人のずるさにだまされないように注意しなさいという言葉が、昔はよく聞かれたようです。(岩手医大教養部教授)


 



 


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