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■月が縮まって
火口原から山頂への道を戻るところから第四場が始まります。生徒たちはすでに山頂にいてデカンショを歌っている。地獄の王プリュトンの声で催眠から覚めた賢治が「私の影は鉄いろの背景の/ひとりの修羅に見える筈だ」と、標石のもとで青ざめて詠唱します。
夜明けのしののめが薬師の頂を浮き立たせ、月が少し縮まって見えます。天界のおもむきも一変して、輝きを失った星座や月がうすぼんやりしオーボエ、サックスなど管楽器をともない荘重な旋律が流れます。
舞台の中央では賢治が大きなあくびをして眠そうにたたずみ、気圏オペラ「東岩手火山」の幕が静かに下りるのです。このオペラは、浅草オペラで演じられたオッヘンバックの「天国と地獄」(地獄のオルフェウス)をパロディー化したもので、その終幕を陽気なフレンチ・カンカンのギャロップとはうらはらに、アイロニカルな幕切れとしたのです。
この4連詩の構成にドラマツルギー(劇作法)が感じられ、しかも1連から4連が起承転結に配列されていて、1幕4場のドラマがイメージされました。
漢詩の絶句に詳しい賢治が第3連を転句に見立て場面転回を図ったことは容易にうなづかれます。未明の岩手山頂から四方の山々を展望する第1連と、それを受けて生徒たちに気象や星座などを語る第2連はまさに起句と承句にあたります。
第3連は新たな転回をみせる転句の手法で、場所を火口原へ移し父の一声で暗転を図り、第4連は輝きをなくした星や月に再会する薄明の山頂の場で結んでいる。
果たして賢治にオペレッタ仕立ての意図があったのか不明ではあるが、この詩をオペレッタに見立てて観賞したのはおそらく筆者が初めてでしょう。
この4連詩をオペレッタに見立てた背景には「わたくしは地球の華族」「私は気圏オペラの役者」の詩章に歌唱的な性格を認め、これをアリアとして推測したのです。
また第3場の火口原において(あんまりはねあるぐなぢやい…)という怨霊(おんりょう)めいた父の一声を、オペラ「天国と地獄」の地獄王プリュトンとして連想したのです。それは賢治の深層の修羅意識をよびもどす転句的な意図を印象づけるとともに、生徒たちと有頂天にはしゃぐ賢治を常に批判する父の存在がクローズアップされ、暗喩(ゆ)するその相克は、まさに「天国と地獄」そのものだったのでしょう。
■詩編「東岩手火山」より抜粋(4)
火口丘の上には天の川の小さな爆発
みんなのデカンショの声も聞える
月のその銀の角のはじが
潰れてすこし円くなる
天の海とオーパルの雲
あたたかい空気は
ふつと撚りになつて飛ばされて来る
きつと屈折率も低く
濃い蔗糖溶液に
また水を加へたやうなのだろう
東は淀み
提灯はもとの火口の上に立つ
また口笛を吹いてゐる
わたくしも戻る
わたくしの影を見たのか提灯も戻る
(その影は鉄いろの背景の
ひとりの修羅に見える筈だ)
さう考へたのは間違ひらしい
とにかくあくびと影ぼうし
空のあの辺の星は微かな散点
すなわち空の模様がちがつてゐる
そして今度は月が蹇(ちぢ)まる
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