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水分公民館敷地の一角に建立した旧水分国民学校校歌碑 |
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旧水分国民学校(現紫波町立水分小学校)の校歌碑除幕式が3日、紫波町水分公民館前で行われた。来年喜寿を迎える1945年の高等科卒業生たちが中心となり建立。明治、大正、昭和と歌い継がれてきた校歌を後輩たちに伝えていく。碑は校歌を作詞作曲した藤原広治が欲しがっていたピアノ型に加工され、卒業生たちは「広治先生はきっと喜んでくれるはずです」と口々に話していた。
除幕式には水分国民学校の卒業生、水分公民館の関係者、矢巾町不動地区の人たち30人余りが集まった。校歌碑の大きさは台座を含めて高さが約1・4メートル、幅が約1メートル。裏側に45年に卒業した人たちの名前と一緒に「大いなる意に生かされて喜寿祝う 我等ともがら日々新たなり」の文字が刻まれている。
45年の卒業生25人で組織する加喜和会を代表し、事務局長の佐藤利夫さんが「文化の日にわたしたちの喜寿の祝いの記念除幕となりました。小学校を出てちょうど60年、77年生きてきた社会への感謝と恩返しの意味も込められた碑。わたしたちの文化の日。この碑がここにあることによって、これからも水分の多くの人たちが藤原広治先生の作詞作曲となる“清き泉”の校歌を歌い継いでほしいと思う」とあいさつした。
卒業生たちが左右に分かれ寿の文字が入った幕を下ろし、懐かしい校歌を全員で合唱した。
校歌は、5番まであるがピアノ型に作られた黒みかげ石の上に3番まで刻まれた。歌詞の下には鍵盤が刻まれ、ピアノの右上には広治のピアノへの思いを書いた一文が刻まれている。
畑山俊夫さんは「広治先生にピアノを贈ることができて本当に良かったと思います」、藤原淳男さんは「わたしたちは昭和12年に小学校に入学した。この年は支那事変が始まった年、そして昭和20年卒業だから終戦の年だった。校歌はオルガンの伴奏に合わせて歌い、卒業年にピアノの伴奏で歌った」などと話していた。
戦後に卒業したという女性は「わたしは転校生で1年間しか歌っていないんですが、この校歌はしょっちゅう歌います。広治先生の願いがかない、ピアノの形になっていることが斬新でいい」と、校歌の思い出を話していた。
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