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原敬別邸で使っていた牛鍋 |
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明治、大正に活躍した原敬の別邸にあった牛鍋を、23日まで特別開放中の原敬生家(盛岡市本宮)で見ることができる。開国とともに西洋文化が入ってきて日本人の食文化にも影響を与えたが、原は外務省在職時の海外赴任や海外旅行を通じて洋食に親しんだのは間違いなく、牛鍋を備えるほど身近な料理だったことがうかがえる。
鉄鍋は平底の浅い型で、20センチ四方程度の角の取れた四角形。七輪に乗せるにはちょうどよいような大きさだ。木ぶたが付き、専用の木箱に1個が収まる。木箱には「ぎうなべ」と墨書きされている。この鍋は現大通3丁目の古川端にかつてあった原別邸に残されていた一つ。遺族から同館に寄贈された中にあった。鍋の傷はよく使っていたことを物語っている。
鎖国時代の日本人にはほとんど獣肉食の習慣がなくなっていた。幕末に欧米人が来るようになって、国内に食肉処理場が設けられるなど、日本人の間にも肉食の文化が伝わっていった。
原はパリ公使館に長期勤務の経験もあり、肉食どころか洋食は原の生活にとけ込んでいたと思われる。木村幸治館長によれば、原は「うしどん」と呼んで好んで食べたという。
現代なら牛丼(ぎゅうどん)になろうが、はたして現代人がイメージする牛丼が明治、大正時代に料理としてあったかどうか。むしろ、牛鍋を茶碗の白ご飯に乗せて食べたのが原のうしどんと考えた方がよさそうだ。
原と料理にまつわる逸話では、切りそばが好きだった原のため、妻浅が考案したという器がある。ふた付きの汁椀で、間に小皿をはさむのがアイデア。小皿には薬味を盛り、椀に重ねて出した。こちらは記念館に展示されている。原はこれを基に、市内の老舗直利庵へ今のわんこそばの原型になるスタイルを伝えたという。
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