2005年 11月 6日 (日) 

       

■ 〈胡堂の父からの手紙〉32 八重嶋勲 共同自炊生活での絶食同盟

 ■53はがき 明治34年6月24日付
 
  宛 盛岡市盛岡市仁王六番戸 小笠
   原方学生寄宿
  発 紫波郡彦部村大巻 
無事帰盛ニ先以テ賀ス、次ニ当方無事ナリ、折見合授業差閊(支)ナキ場合帰宅可致候、余者面會ト申残ス、早々
  六月廿四日    野村長四郎
 
  【解説】「無事盛岡に帰ったことをまずもって喜ばしく思う。次にこちらは無事である。折り合いを見て授業に差しつかえない場合帰宅するように。余は面会に申し残す。早々」という内容。

  長一が、どこか遠くに行ってきたらしく、盛岡に帰ってきたことをまず喜び、そして授業に差し支えない場合帰宅せよと要求しているところに親心が見られる。

  この4月ごろ、約9カ月過ごした馬場小路の照井勝知方の下宿から、長町裏の田んぼの中の家に引っ越しをしている。盛岡中学5年生である。

  ところで、「新岩手人第十八号」に「猪狩見龍君の思ひ出」と題して野村胡堂が、長い文章を寄せている。その中から抜粋して紹介したい。ちょうどこの長町田んぼに共同自炊生活をしたころのことである。

  「(前略)ストライキが済むと、私と猪狩君と、外二三の同志が長町裏の田圃の中で、自炊生活を始めた。村上なみ六の『五人男』そつくりと言ふ面白いものであつたが貧乏なことも非常で、数へ切れないほどの奇談を作つた。薪は買つた事無し(大抵近所の柵を引つこ抜いて来て焚いた)家賃も恐らく半分位しか払わなかつたらうし、金も米も無くなると、二日位食はずに居ることが珍らしくなかつた。桜の咲く頃、秋田から島田五工がやつて来た。前年の秋田旅行で世話になつたお礼にうんと御馳走(ちそ)したは宜(よ)いが、翌(あく)る日から金も米も尽きて了(しま)つて、皆んな布団の中へ潜り込んで誰かへ為替が来るまで寝て居ることにした。一番先に悲鳴を挙げた奴が弱虫と言ふ事になつて食糧の世話をしなければならなかつたのだ。二昼夜経つたが、一人も屁古垂(へこた)れるのは無い。横着な狸(たぬき)寝入りが、無限に続き相だつたが、その頃近所に居た宮川慶吉君(快男子であつたが惜しいことに若くて死んだ)がやつて来てこの絶食同盟(ハンスト)に驚いて、ツイ近所の自宅から米三升と沢庵を持つて来てくれたことがある。猪狩君などはこんな我慢にかけては決して人後に落ちる方では無かつた。この自炊生活は非常に面白いものであつたが、詳しく書いて居る時間も行数も無い。他日又語る機会もあらう。(以下略)」という文章である。

  父長四郎の書簡のあて先によれば、ここには5カ月位暮らしたようである。
 
  ■54巻紙 明治34年8月29日付
 
  宛 盛岡市盛岡市日影門外小路
  発 紫波郡彦部村
手紙了掌(承)セリ来ル三十一日迄ニ送金可致候、草紙手紙弐通到達致候ニ付送付候也
  八月廿九日     野村
  長一殿
 
  【解説】「手紙の件了承した。来る31日までに送金することとする。手紙など2通到達したのでこの手紙を送付する。」という内容。

  長一からの学費などの要求の手紙の件了解31日までに送金する。なお手紙など2通も届いたという受領の手紙である。忙しかったのか父長四郎にしては珍しく簡潔な文面である。

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