2005年 11月 11日 (金) 

       

■ 〈続フランス見たまま〉288 小野吉郎 パリの画廊

 パリには画廊が多い。600以上ある。創作美術の発信地に画廊が集まる。
 
  19世紀の後半、多くの画家がモンマルトルの丘に住んでいた。そのふもとの近くに、「パリの銀座」ともよぶべきグラン・ブルヴァールがあり、そこに当時一流の画廊が集まっていた。それで1874年の第1回印象派展をオペラ座の近く、カピュシーヌ通りのナダール写真館のアトリエで、30人の画家の作品が展示された。

  官展である「ルサロン」に対抗して、モネ、ドガ、セザンヌ、ルノワール、シスレー、ピサロ、それに女流画家のベルト・モリソーといった7人の印象派画家が参加した。

  サントノレ街周辺の画廊
  1900年のパリ万博が残したグランパレは、多くのグループ展の会場になった。シャンゼリゼ大通りの端にあって、マリニー通りを北上するとサントノレ通りにたどりつく。

  この界隈(かいわい)には印象派を一手に扱って有名になったベルネーム・ジュヌ画廊などがある。モンテーニュ通りにはローレアル社の子会社のアールキュリアルという現代美術の豪華な画廊があって、ピカソ、ミロ、デュビュフェ、ザッキンなどの作品を扱っている。ガルニエ画廊はビュフェを扱っている。

  もう少し北上してオスマン通りを越えると、マーグ画廊がある。

  戦後にエポック・メーキングの画商、南仏カンヌ出身で、後にサンポール=ド=ヴァンスにマーグ財団美術館を開設した。息子アドリアンは、マーグ画廊から独立してセーヌ左岸にアドリアン・マーグ画廊を開設した。

  すぐ近くのモンソー通りにはマティスの娘が設置したルイズ・レリース画廊がある。かつてピカソを無名時代から面倒をみたカーンベレール画廊の後身でもある。

  マティスは日ごろ画商に搾取されるのを嫌い、まずアメリカ市場で娘に直接作品を売らせた。後に彼女はニューヨークからパリに逆上陸した。

  モンパルナスの画廊
  かつてのエコール・ド・パリの画家たちは、セーヌ左岸のモンパルナスにたむろしていた。美術学校も近く、芸術創作の場となった。それでパリ7区一帯に多くの画廊が集まった。

  アドリアン・マーグもバック通り店をかまえ、マティスやミロをはじめブラック、レジェ、カルダー、アダミ、バゼーヌ、タルコアツトなどの作品を扱っている。

  ポンピドゥ・センターの周りの画廊
  17、8世紀に芸術の中心がイタリアからフランスに移ったように、今度はアメリカに移動するかのように思われた。

  その流れを食い止めるため1977年にオープンしたポンピドゥ・センターの周囲に新しいタイプの画廊が集まった。タンプロン画廊はその一番乗りだった。

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