2005年 11月 20日 (日) 

       

■ 〈盛岡百景〉46 十六羅漢 5万8053人の喜捨と奉仕

     
  らかん公園の石造十六羅漢  
 
らかん公園の石造十六羅漢
 
  盛岡市内で寺院が集積している一つで、市の環境保護地区に指定されている寺ノ下寺院群地区。その近郊に、らかん公園はある。児童公園と十六羅漢の鎮座する敷地が一体的に利用され、本体だけで高さ126〜197センチの石造が並んでいる。

  この地には寺ノ下の大慈寺町にある祗陀寺の末寺宗龍寺が、かつてあった。江戸時代に建立された丸彫りの石造は十六羅漢像とともに五智如来像5体があり全部で21体となる。

  羅漢とは、梵語(ぼんご)のアルハンを漢表記した阿羅漢から来ている。煩悩を絶ち、限りない功徳をそなえて人々から尊敬と供養を受けるに値する修行者のこと。十六羅漢は現世で長く仏教の教法を広めることを誓い合った16人の著名な弟子のことを指す。第一尊者から第十六尊者までいる。

  江戸期の羅漢像は遠野市の五百羅漢など飢饉(ききん)との関連が深いものがあり、十六羅漢も同様だ。盛岡藩が見舞われた元禄、宝暦、天明、天保の4大飢饉で多数の餓死者が出たことから、祗陀寺14世天然和尚が死者の供養のため建設を発願し、領内から供養喜捨を得て建立した。現代は日本で餓死者を出すような飢饉はなく、公園で無邪気に遊ぶ子供の健やかな成長を見守っているような存在に見える。

  5万8053人からの喜捨とその他の労力奉仕によって、1837(天保8)年10月に着工し、1849(嘉永2)年に完成した。石は飯岡山産。藩御用職人の石工7人が3年かかって粗刻みし、巨岩を船積みして北上川を渡して宗龍寺に運んで仕上げ彫りをしたという。下絵は藩の御絵師狩野林泉(2代林泉)が描いた。 

  完成は天然和尚の愛弟子だった仙北町の長松寺13世泰恩和尚のとき。同寺墓地には、五智如来と同じような規模の釈迦如来石像が建立されている。十六羅漢の試作品であったと伝えられるものだ。出来が良かったこの石像も宗龍寺に運ぼうとしたが、この場から動かすことができなかったため、この地に置かれたと伝えられている。

  宗龍寺は明治に入って廃寺となり、1884年の大火で灰になった。焼け跡に残った石仏のうち羅漢の尊名を明らかにできるのは8体で、持ち物などから配列を推定復元した。「石造十六羅漢16体付(つけたり)五智如来5体」として、市指定文化財になっている。
(井上忠晴記者)

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