■ 〈岩手高原スノーパーク2年目の挑戦〉2 地元で働ける喜び
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雫石町で初雪を観測した11月10日、岩手高原スノーパークではリフトの取り付け作業が急ピッチで進められた |
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岩手高原スキー場の休業が決まった98年秋。経営していた旧地産トーカンは社員を系列の高速道路サービスエリアやホテルに異動させた。中には雫石町出身者も多く含まれ、会社を去った人もいた。一方、いつでも再開できるようゲレンデ整備に何人かが残った。そして再開後に新たな人材が送り込まれた。
「もう次の仕事はないと思っていた」。課長代理の山本善和さん(54)は再び岩手高原で働く喜びをかみしめる。同町西根出身。同じ町内のスキー場から移り90年から8年間岩手高原にいた。
那須高原のSAへ出向し6年間単身赴任。会社がSAを譲渡したのを機に帰郷した。
再開とともに声が掛かり岩手高原に復帰。「町に3スキー場があってここだけ稼働しないのはイメージ的に良くない。ペンションも大変だ。施設補修の担当として副支配人を補佐し、お客に安心して利用いただける施設をと考えている」。
◇ ◇
整備が行き届いたゲレンデ。鈴木総本社が買収を決意した理由の大きな一つだ。休業中も3人の従業員が再開のため整備を続けた。再開を見届けた嘱託の一人は引退、もう一人は社員として系列スキー場へ異動した。
圧雪車や機械類の保守整備に打ち込むのが、残るもう一人若林広さん(45)だ。休業で山梨県のホテル出向を命じられたが、家業の農業をやめるわけにはいかなかった。退職を覚悟したが、スキー場に残れるよう推薦を受けた。
「草刈りをずっと休まず続けた。ゲレンデづくりも最高のものだと自負している。圧雪車の整備もいつでも再開できるよう怠らなかった」。今春異動の話が出たが、季節雇用の道を選んだ。岩手高原を離れたくなかった。
ゲレンデ以外でお客に楽しんでもらおうとゴムチューブをスノーモビルで引くスノートレインや圧雪車用のコースを使った体験試乗を昨季に実施した。
「いろいろ考えてお客を呼びたい。ゲレンデやパーク(人工のこぶやジャンプ台など)を作る楽しさ、滑ってもらう喜びがある」。目を輝かせる。
◇ ◇
今季から副支配人制が敷かれ、6月に就任した内藤克之さん(52)。群馬県の系列スキー場から派遣された。ゲレンデやパークづくりなどコース管理を任されている。
「群馬では初心者でも滑られるようにする。降りるときはリフトを一度止める。細かくサービスしていかないと。恐い思いをさせたら来てもらえなくなる。積み重ねで売り上げを伸ばす。リピーターをどう増やすか」。
群馬では客が落ち込まなかった。関東でのノウハウが従業員に刺激を与えている。
「お客に売るのはゲレンデ。誰でも満足できるゲレンデをつくっていく」。今週末からでも滑ってもらう準備は万全だ。
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