前回、「学校に来い」とは言うけれども、「頭に来い」とは言えない理由について考えました。英語にもそういうのがあって、その一つにkick the bucketというのがあります。これは、「死ぬ、往生する、くたばる」といった俗語的意味で、文字通りの「バケツをける」ではありません。その証拠として次のようなことがあります。
John kicked the ball.ならThe ball was kicked by John.のように、「そのボールはジョンにけられた」ということができます。つまり、受け身の言い方をしても通じます。
ところが、The bucket was kicked by John.としてしまうと「死んだ、くたばった」の意味は壊れてしまうのだそうです。これはBruce Fraserというアメリカの言語学者が1970年に熟語の性質について発表した論文から引用したものです。構文としては受け身にできる文なのに、そうすると変だというわけです。
このように英語の熟語も文法上の融通が利かない点では日本語と同じです。前回みたように、日本語で「おい!ちょっと頭に来いよ」という命令文はたしかに変です。
「学校に来る、駅に来る」など「来る」は命令文にできる文法的、語彙(ごい)的条件を備えています。でも、自分で自分の頭に来ることはできないのです。それを承知の上で、漫才などでは使われる言語現象の一つです。
ほかに、let off some steam「うっぷんを晴らす」は蒸気を吐き出す様子に似ているとか、sit on pins and needles「ひどくそわそわする、ひやひやする」は、画びょうや針の上に座るのだから、「針のむしろ」に似てるなとか、cast pearls before swineは「豚に真珠を与える(マタイ伝)」は豚をネコに、真珠を小判に当てはめて「ネコに小判」などのように想像がつくものもあります。 (言語人文学会会長)
|