2005年 12月 5日 (月) 

       

■ 〈盛岡百景〉48 中央公民館と庭園

     
  南部伯爵家別邸の趣を今日に伝える庭園  
 
南部伯爵家別邸の趣を今日に伝える庭園
 
  盛岡市中央公民館は盛岡藩主だった南部家の別邸跡。約8千平方メートルの回遊式庭園や敷地の前面などに残る土盛り、石垣などに面影を感じられる。この歴史的背景がここで展開される市民活動を多様にしていると言っていいかもしれない。

  公民館の辺りは藩政時代、下小路と言われた町割りに入り、少なくとも寛文年間(1661〜73)には侍町になっていた。愛宕山の裾野にあり、下小路と名付けられたらしい。

  下小路の中でも愛宕山の直下と言える愛宕下に、第3代盛岡藩主重信(治国1664〜91)のころ御薬園(おやくえん)が開設された。盛岡城で使う薬草を栽培していたが、6代目利幹(1708〜25)の代で廃止され、御殿とお茶屋、能舞台などを造営して下御屋敷とした。次の利視(25〜52)の代には奇石珍木を集めて林泉を造った。その造園設計は玉山村の姫神山や米内の高洞山を借景とするものだった。

  愛宕山は城下近郊の展望地で、城の北東の鬼門に当たるため聖地とされた。紅葉の見事さで知られる京都・高雄のカエデやモミジ類を植え、毘沙門堂や観音堂を祭ったという。

  江戸後期の1854年(安政元年)には、藩学校明義堂の講義所が設けられ、63年まで藩士の子弟が経学や医学を学び、今日の公民館に通底する歴史もうかがえる。しかし、戊辰戦争での敗北、明治維新という時代の大きな変化により、建物も庭園も取り壊された。しばらく荒廃するに任せていたようだが、1908年(明治41年)、南部伯爵家の別邸として整備されたことで、歴史を呼び起こすよすがを残してくれた。

  秋に鮮やかに色づくカエデを持つ庭園はこのときの造園だが、江戸時代までもしのばせる。これに愛宕山斜面の彩りが加わって、秋爛漫(らんまん)となる。今日の周囲の環境からは、愛宕山が借景と呼べる存在だ。

  80年、今の市中央公民館が開館した。かわらぶき屋根の白壁の本館は和と洋を併せ持った造形。残存する別邸時代の和洋折衷の建物や俳人山口青邨が幼少期を過ごした家を一部移築した愛宕亭、明治天皇行幸の際、御成りの間となった賜松園の部屋を移築した聖風閣、原敬の別邸介寿荘内のあずま屋を移築した白芳庵、江戸時代からの商家で紫紺染め再興に尽力した中村家の移設住宅と、歴史に包まれた環境で市民が生涯学習などに励んでいる。
(井上忠晴記者)

本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします