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千手観音 |
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神道において清潔と簡素な美を尊んだ日本人は、密教によって絢爛(けんらん)にして陰影多き美を美しいとすることをおぼえた。奈良時代と平安時代、万葉集と古今集の美意識の違いは、このような神道と密教の自然観の違いに帰せられるといってよいかもしれない。平安時代の半ばごろより浄土教が起こり、美を想像の浄土の世界に求める自然観が日本を支配した。そしてさらに禅が単色にしてしかも無限に複雑な自然観を日本人に教えた。密教や浄土教のけばけばしい色のあでやかな世界に対して墨一色で塗りつぶされた禅の世界、それは日本人の自然観における、ふたたび簡素単純なるものへと帰ろうとする運動であったかもしれない…。梅原猛−美と宗教の発見より−
禅を論ずるためこれを書いたものではなく、日本人の美意識を確認したいのです。
師走のいそがしい時期でしたが、千葉館山の岩崎巴人先生のお宅を訪問した際、奥様が坂道の上まで出迎えてくれました。ちょうど道に椿(つばき)の花が散らばっていました。奥様は「先生が橋本さんがいらっしゃるから掃除しないでおいて下さいと言われたんですよ」と花をふまないように上手に坂を下って行かれました。
これを見て利休についての話を思い出しました。利休はその子紹安(じょうあん)が露地を掃除し水をまくのを見ていた。紹安が掃除を終えた時利休は「まだ十分でない」と言いやりなおしを命じた。いやいやながら一時間もかかって掃除をし息子は父に向かって言った「おとうさんもう何もすることはありません。庭石は三度洗い石燈籠(どうろう)や庭木にはよく水をまき蘚苔(こけ)は生き生きした緑色に輝いています。地面には小枝一本もありません」「ばか者、露地の掃除はそんなふうにするものではない」と言ってしかり利休は庭におり立ち一樹を揺すって庭一面に秋の錦を片々と黄金紅の木の葉を散りしかせた。
利休の求めたものは清潔のみではなくて美と自然とであったという…。
茶の心です。私は至福のときをいただいたことに感激して、先生のお宅を辞しました。
もう一つ岡倉覚三(天心)が英文で書いた茶の本を昭和4年に村岡博氏が話された中から
「道教や禅の『完全』という概念は別のものであった。彼らの哲学の動的な性質は完全そのものよりも、完全を求むる手続きに重きをおいた。真の美はただ『不完全』を心の中に完成する人によってのみ見いだされる…
茶室においては重複の恐れが絶えずある。室の装飾に用いる種々な物は色彩意匠の重複しないように選ばなければならぬ、生花があれば草花の絵は許されぬ、丸い釜を用いれば水さしは角張っていなければならぬ。黒釉薬(くろうわぐすり)の茶わんは黒塗りの茶入れとともに用いてはならぬ。香炉や花瓶を床の間にすえるにも、その場所を二等分してはならないから、ちょうどその真ん中に置かぬように注意せぬばならぬ。少しでも室内の単調の気味を破るために床の間の柱は他の柱とは異った材木を用いねばならぬ…」
科学主流の日本文化はもうこのような茶の心を切り捨ててしまったのでしょうか。
日本人の美意識には世界に誇れるすばらしいものがあるのになぜか合理主義におし流されてしまいました。機械に管理された生活からは、美しいものに感動する余裕など生まれてこないでしょう。
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